ふみゑさんのお話13
一部は戦時中にお米に替わり、残っていたものも、大阪の空襲で焼かれてしまいました。
時折思い出しては「あれがあったら、あんたが喜ぶだろうに・・・」と話しております。悲しい記憶ですね。
ところが、全く何も残っていないと思っておりましたのに、数年前に、1枚だけ出てきたのです。
それがこのキモノ。

ふみゑさんが嫁入りの歳に着た留袖です。

大阪には持って行かず、広島の実家に置いていたものなのか、戦火の中を命からがら持ち出したものなのか・・・。

古典的な鳳凰の留袖は、ふみゑさんの一番上の娘・ちさとさん(私の叔母で父ひろしの妹)が嫁入りする際に、母親(ふみゑさん・私のおばあちゃん)から持たされました。
娘に持たせることの出来る、唯一のキモノだったのだそうです。

この留袖は、ちさとさんのところで大事にされておりましたが、長い時間の間に、生地が弱ってしまい、もうキモノとして着ることは出来なくなってしまいました。
そして、ちさとさんがふみゑさんに
「もうキモノとしては着れないけれど、あなたのものだから、どうにかして、孫のひよさに残してあげるといい・・・」と言って、このキモノは何十年かぶりに、ふみゑさんのところに戻って来たのです。
ふみゑさんは、その留袖から、私にクッション2つを作ってくれました。

形は変わってしまいましたが、これが私がふみゑさんから譲り受けたキモノです。
ヨダレを垂らすといけないので、これで昼寝は出来ませんけどね。

ちなみに、キモノ同様、若い頃の写真も戦災に遭ってしまいましたので、残っているのは先の1枚と、今回の婚礼の時写真、あと1枚ふみゑさんが3歳の頃のものが1枚のみ。
残念な限りです。

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