相模神楽垣澤社中創設百周年記念公演を訪ねて3
「どう見ても、これで済むワケ無いね・・・。」
ひとまず、明日は古布(衣類)の回収日。
朝までに、45ℓのビニール袋4つくらいにはなりそうです。(キモノ含まず。)
さて、相模神楽垣澤社中創設百周年記念公演に出掛けた日のおキモノのお話。
この日は、ちと変わったものを着ておりました。
昨年の暮れに暮らし家さんで求めたものですが、お解りになりますでしょうか?
このあたりを、見て頂くと解りやすいかと・・・。
はい、二枚襲ね(かさね)のキモノでございます。
古着屋さんで襲ねのキモノを拝見することは時折ありますが、中着だけだったり上着だけだったりで、状態の良いものがきっちり揃っているのにお目にかかる機会は、そう多くはありません。
そして、たまさか揃っていたとしても、柄行がフォーマル過ぎて、私には必要の無いものであったりすることも多いのですが、このおキモノは紋こそ入っているものの、かなりカジュアルな柄行き。
普通に着られそうじゃない??
お話を伺ったところ、襲ねを着る習慣が無くなってしまった昨今、中着の方はお細工用の布として求められて行くことが多いのだそうです。
え??せっかく揃っているのに、離れ離れになっちゃう可能性もあるんだ・・・。
うむ、連れて帰るしかないな・・・。笑
そんなこんなで手に入れたおキモノ、どこでデビューさせようかと考えておりましたところ、相模神楽垣澤社中創設百周年記念公演に誘って頂きましたので、お祝い気分で着てみることに致しました。
お馴染みの宝尽しのハギレを帯揚げ代わりに使って、旧正月だし巳年でミツウロコの帯だな。
襲ねがよく解るように、伊達衿も入れてみましょ。
帯留代わりに使ったチェコガラスのブローチは、ヘビイチゴ・・・のつもり。笑
何のことだか??と思われることと思います。
実は、この日は小倉充子さんとご一緒しておりましたので、小倉さんの巳年手ぬぐい「やぶへび」にあやかりましたの♪(うにさには、誰にも解らないと突っ込まれましたが・・・。)
これまでにも、手持ちの伊勢木綿で重ね着はしておりますが、やはり襲ねは暖かいですワ。(伊勢木綿の重ね着姿は『伊勢木綿で実験2』や『花盛りの春、西へ東へ28 房総編』でご覧頂けます。)
この中着、他のキモノの下にも着てみようかなぁ・・・。
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コメント
あ いかんいかん 応援しとかんと
で なぜ5-56も必要なのかしら?
あっくまさま
そして、何故か中着の方が丈が長く作られていて、結構不思議な点があるので、少し詳しい方に見て頂いたのですが・・・。
時代は恐らく大正から昭和の初期のものだそうですが、誤った仕立てではなく、かなりきちんとした縫製なので、何か意図するところがあって中着を長く仕立てているのでしょうとのこと。でも、その方も他でこのような例は見たことが無いとのことで、謎は深まるばかりなのですよ。
機会があったらお見せしますね。
あっくまさま
ナイスつっこみ、かたじけない。笑
guchiさま
でもべんり。
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いろいろ聞きたいことが、出てくるわー。