のそのそと再開
皆さまは、どんな風にお過ごしでしたか?
未だ避難所での不便な生活を続けられておられる方、流れる報道に不安な思いをされている方、不安な中でも生活に落ち着きを取り戻された方、様々なことと思います。
先程、ずっと気になっていたコメントへのご返事を済ませ、たった今、私は少しホッとしております。笑
これまで通りの暢気なブログの再開ですが、ひとまずはお休み頂いていた間のことを、お話するところから始めたいと思います。
スタジオクゥは、この1ヶ月、平常でないようで平常な生活を送っておりました。
地震の際に大きな被害には遭いませんでしたが、とにかく物の多い我家。
案の定、それぞれの自室で高く積み上げていたものが落ちて参りましたため、自室で眠るのが恐ろしくなり、未だにリビングで並んで眠っております。(うにさは本、私は人体模型や標本・・・。)
福島第一原発の最初の水素爆発の直後、都内でひとり暮らしをしている生八橋星人ことケイちゃんを呼び寄せて、3週間程は川の字になって過す日々。
その合間に、景気付けに更に友人に声を掛け、うにさの実家から送られて来たお牛様を囲んですき焼を食し、節電や計画停電と闘いながら仕事を進め、NHKで水野解説員のネクタイの柄を欠かさずチェックする毎日でありました。
予定していたお出掛けが軒並み中止となったため、ある意味、お家でゆっくりと仕事三昧ではあったのですが、家の中に居ても、どうも腰が落ち着かない・・・。
暖房も控えておりましたので、キモノで過せば温かいだろうなぁ・・・と思いはしても、正直、余震が恐くて袖を通す気持ちにはなれないでおりました。
着替えている最中に腰巻一枚で飛び出すことになったらどうしよう??とか、仮設のお風呂に入る時に脱ぎ着がし辛いだろうなぁ・・・などという不安と妄想の入り混じった状態に陥り身動きが取れない私。(情けナシ・・・。)
出来ることと言えば、時折自室に入ってキモノの香を嗅ぐことだけ。
『平穏な日常の香り』だと心底思いました。
微妙に不安定なこの生活が、長期戦になるとの覚悟を持った頃、頭をもたげて来たのは、うにさの実家(三重)からお借りしているキモノ達のこと。
自分のものはどんなことになっても仕方がないけれど、太平洋戦争も超えて生き延びて来たみささん(うにさのお婆様)のキモノや帯の数々を、かわいそうな目に合わせることになったらどうしよう・・・。
ともこさん(うにさのお母様)からは、送り返す必要はないと言っては頂いたものの、余震の続く中、未だに迷っていることの1つであります。
・・・とまあ、こんな風に書きますと、とても緊張感のある生活をしていたように思われるやもしれませんが、怯えておりましただけで、特に不足を感じることもなく、過していたのですよ。苦笑
そして、そんな中、自分達に何か出来ることはないのか?と、ふたりで無い知恵を絞り、当って砕けもしましたが(苦笑)、最終的に『出来ることしか出来ない』というところに着地。
やっとブログを再開することが出来ました。
無力感とも違うのです。
私達に出来ることはとてもささやかなこと。
大きくは飛べないけれど、限界を少しづつ延ばすことは出来ます。
そして、慣れないし、忘れない。
まだまだ毎日の更新は出来ないかもしれませんが、再開した私達のブログを読んで日常を感じて下さる方がいらっしゃれば、幸いに思います。
仕事の山を越えた時に、私達ふたりが必ず交わす言葉があります。
『ビバ!日常!!』
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コメント
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これほどの大災害、本当に息の長い支援が必要だと思います。
できることを少しずつ、でも途切れることなく続けていけたらなと思います。
とりあえず飲み屋では東北のお酒を注文し、家飲み用にも東北の銘酒を箱買いする今日この頃。酒飲みにできるささやかな復興支援。(もちろん募金もしていますが/笑)
そんな中のブログ再開、とても嬉しく思います。
ひよささんの楽しく、でもとても真摯な文章と、うにささんの可愛いイラストを味わうことが、私にとって(たぶんここを訪れるたくさんの人にとっても)大切な日常なんだと改めて感じた1ヶ月でした。
ゆっくりで良いです。また、楽しい美味しい話題をお願いします。
けろぞーさま
震災から2ヶ月以上が経ちました。
その後、宮城の工場の方々はどのようなご様子でしょうか。
大きな災害の後、日常を取り戻すのは容易ではないと思います。
被災した地域の方々に関心を持ち続け、日常を取り戻すことができるよう応援していくことが大事ですね。
ブログ、ぼちぼちと更新させていただいております。
私たちの日常ブログに加えて、時々被災地支援のことも書いて行こうと思っています。
長く一緒に応援してゆきましょう!
鍵コメントを下さったA様へ
新しい土地での生活には、慣れられましたか?
これだけの大惨事、中々心穏やかになることは難しいのではないかと思います。
被災した方には被災した方の、少し離れた場所にいる方には離れた場所にいる方の、心の傷のようなものがやはり出来てしまったのではないでしょうか。
自身の心が折れないことも大切にしながら、出来ることをやって行きたいですね。
一緒に○○しましょう!という様な表現はあまり使いたくはないのですが、私達のブログの中に、ほんの少しでもAさんの今の思いと同じものが存在するようであれば、あえて「一緒にやって行きましょう」と今は言いたいです。
きっと、ひとりじゃないですよ。
hiromiさま
私達はふたりとも、あまりお酒に強くないので、東北の銘酒消費に貢献出来ずとても残念です。
しかし、タリエちゃんが私達の分まで担当してくれている模様・・・。笑
それぞれに自分の能力を生かした支援が出来るといいですね。(お酒をたくさん呑めるのも、能力のひとつです!!)
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私が勤務している会社も工場が宮城県にあり、建屋自体は損壊しなかったものの、従業員には避難所生活を続けている人もいるそうで、まだまだ”日常”には戻れていません。
私地震は関西におりますので、震災発生当日も、揺れはしましたが「眩暈か?」と勘違いするような程度の揺れでした。
その後は、支援・救援物資の輸送に追われ、工場の人たちとは連絡もとれず、先日やっと工場の人と電話で話ができたときには、仕事中にも関わらず涙がこぼれてしまいました。
どうか、みんなが”日常”と思える毎日に早く戻れますように。
楽しみにしているので、たまにでも良いので更新してください。