諏訪回想録12

昭和3年に竣工された片倉館の『千人風呂』は、現在でも利用出来る日帰り天然温泉です。
シルクエンペラーと呼ばれた片倉財閥の二代目兼太郎氏が、『厚生』と『社交』の場を兼ね備えた施設を、諏訪の地元住民のために提供したいと考え、建設されたものです。
設計は森山松之助氏。

建築様式は、いろいろなものが混ざっているようですが、そこが日本的でもあり、興味深い建物です。
大きな湯舟の底に玉砂利がひいてあるのも、なかなかに宜しい。(足裏マッサージ効果があるカモ・・・?)
この片倉館以外にも諏訪湖周辺にはたくさんの温泉があります。
そう、諏訪は、500を超える源泉を持つ、湯量を誇る温泉郷でもあるのです。
上諏訪駅では、ホームで足湯に入ることが出来ますが、以前は露天風呂だったそう・・・驚!!
片倉館と同じ敷地内には『諏訪市美術館』。

そして、横川の『峠の釜めし』の出店もあります。笑

気候が良い頃には、お風呂から上がって、諏訪湖のほとりで釜めしを頬張るのも良いでしょうね♪
写真は、昨年の御柱祭の翌日に撮ったもの。
実は、片倉館への再訪を楽しみにしておりましたが、生憎の休館日。

閉じたドアの前で、しばし呆然と立ち尽くした私達。
気を取り直して、別の温泉に立ち寄りはしましたが、ちょっと残念・・・。
昨年の片倉館の写真が出てきたところで、ようやく5年前の諏訪訪問のお話もお終い。
随分と長い前振りになりましたが、御柱祭訪問のお話へと移りますかね。苦笑

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諏訪回想録11
『岡谷蚕糸博物館』。

明治から昭和初期にかけて、諏訪地方が、生糸の生産によって日本の輸出産業の一翼を担っていたことは周知のことと思います。

(繭検定用多条繰糸機 増沢式立繰機)
こちら岡谷蚕糸博物館では、蚕糸業(蚕種・養蚕・製糸)に使われた小さな道具類から大型の機械、織機まで、拝見することが出来ます。

機の後にチラリと写っているおキモノ!素敵でしたのよ~♪笑
小さな資料館ではありますが、織物に感心のある方から、機械好きの方まで楽しむことの出来る良い資料館でありました。
岡谷市で訪ねた、もう一つの場所は、『イルフ童画館』。

『童画』という言葉を生み出し、雑誌『コドモノクニ』の装丁や挿絵でも有名な作家『武井武雄』さんは、岡谷の出身です。
美術館の名前にもなっている『イルフ』も、武井さんの造語で『古い』の逆の言葉。
意味は解りますよね♪笑
大正ロマンと昭和モダン漂う武井武雄さんの作品群は、かわいくて、ほんのちょっぴり怖くて、楽しい。
そして、これが、子どものために描かれたと思うと、もう私はずっと子どものままでいることにする・・・と腹を決めてしまいそうになる程に、美しい。(もう十分過ぎる程に大人なハズですが・・・。苦笑)

こちらは館でもらえるイルフカード。
武井氏がデザインした、1971年の日本童画家協会第10回展覧会の招待状を元に作られたものだそうです。
このスタンプカードで2回目以降は割引で入館出来るのですが、5回目と10回目に頂けるというプレゼントが気になりますワ・・・。
お土産には『犬ぼうかるた』♪



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諏訪回想録10
8月1日の『御舟祭-おふねまつり』で御霊代は秋宮の方に遷座されておりますので、下社春宮は参拝する人も少なく、とても静かでありました。

逆に秋宮から春宮に移されるのが、2月1日に開催される『遷座祭』。
下社では、神様は春には春宮に、秋には秋宮に住まわれるのです。

というわけで、留守宅を守る春宮一の御柱。笑

こちらが件の弊拝殿です。
一日で諏訪大社4社全てを巡り、下社春宮で最後の御朱印を頂きましたところ、思いがけないご褒美がありました。
写真には残しておりませんが、諏訪大社の梶の紋が入った蕎麦落雁を一箱。(4社全ての御朱印が揃うと頂けるのだそうです。)
あら、嬉しい♪
残念ながら、蕎麦アレルギーのある私には口に入れることは叶いませんでしたが、縁起ものの良いお土産となりました。

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諏訪回想録9
昨日の『諏訪回想録8』のイラストに大きな間違いがありましたので、イラストを追加いたしました。
いやはや、大失敗・・・。
お知らせ頂いた方!!本当にありがとうございました。
戒めに、間違いイラストもそのままアップしております。苦笑
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さて、お話を5年前の諏訪訪問に戻しましょう。(今少し、昨年の御柱祭のお話はお預けです。苦笑)
諏訪大社下社秋宮から、下社春宮へと移動いたします。
春宮の境内を拝見する前に、参道を脇に逸れて、砥川を渡った対岸にある『万治の石仏』を訪ねます。

畑の中に暢気そうにポツン・・・という程小さくはないですが、佇んでおります。

寄り添いたくなる様なかわいいさ♪
岡本太郎さんが「世界中歩いてみたが、こんな面白いの初めて・・・」と大絶賛されたことでも有名ですね。
『万治3 年(1660 年)11月1日』と胴に刻まれていることから、『万治の石仏』と呼ばれるようになったそうですが、嘗ては「えぼし石」や「みたらしの石仏」と呼ばれていた記録も残っているそうです。
地元の方に聞いたところによれば、万治の頃(江戸時代)よりもずっと古くからそこに在るとのお話もあるようで、本当のところは誰が作ったのかも、いつからそこに在るのかもはっきりしないのだとか・・・。
万治の石仏に関する伝説はコチラで是非ご覧下さい。
こんな、のほほんとした石仏にノミを入れるなんて、そりゃ、いけませんわよね。
順当に行けば、バチの当りそうなお話ですが、夢枕に立って良いアドバイスを下さるのですから、余程温厚な仏さまに違いありませんわ。笑

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諏訪回想録8

神楽殿には巨大な注連縄。

狛犬は青銅製のものとしては日本一の大きさです。
弊拝殿の彫刻も見事でしょう。

下社秋宮と春宮の弊拝殿は、ほぼ同じ構造になっているのですが、ここにひとつの物語があります。
秋宮は立川流、春宮は大隈流。
江戸中期のお話。
2つの宮彫(みやぼり)の流派が、ほぼ同時に同じ構造の社殿の造営を命じられ、腕比べをしたのです。
当時、大隈流は藩の御用大工でありました。
そこへ、江戸で立川流を学び、立川の姓を名乗ることを許されるまでになった元桶職人の息子『和四郎』さんが、故郷の諏訪へと凱旋して参ります。
またたく間に腕を認められ人気の上がった、諏訪立川流初代立川和四郎富棟(長い・・・苦笑)に、下社秋宮弊拝殿造営のお声が掛かります。
これを聞いて面白くないのは、御用大工であった大隈流。
村田長左衛門矩重(のりしげ)を先頭にして、あっちが秋宮なら、こちらには春宮造営を是非にと願い出ます。
ところが、同時に春秋両方の造営をするのでは、費用がかさむ・・・、と神社からはふたつ返事を得られません。
業を煮やした大隈流は、立川流が請負った秋宮の半額以下の見積を出して、春宮造営を請負います。
もう、儲けなんぞは度外視で、喧嘩みたいなものですね。笑
着工こそ秋宮の半年遅れの春宮でしたが、意地を尽くした大隈流は、秋宮より半年早く竣工し、一方の立川和四郎富棟はコツコツとその半年後に秋宮の弊拝殿を完成させたのでありました。
お互いの宮彫にケチをつけあったり、作業妨害したつもりが相手の方が先回りして手を打っていたなど、いろいろと挿話も残っているようですが、今はどちらも国の重要文化財に指定されております。
めでたし、めでたし。

注:村田長左衛門矩重は、先に『伊藤』、後に『柴宮』姓に変っていますが、今回は事件当時の村田姓で登場して頂きました。

申し訳ありません、↑こちらのイラスト間違いです!!×××
ハズカシイ・・・。
訂正!!訂正!!↓

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毎度以上に、コメントのご返事が遅くなりました
随分と長らくお待たせいたしましたが、コメントのご返事をやっとすることが出来ました。
返信を溜めないように・・・と毎度反省するのですが、中々実行出来ず申し訳ありません。
コメント欄を読んで頂くだけでも、大変な文字量になりそうですので、本日は諏訪のお話はお休み。(一旦は、アップしかけたのですけどね・・・苦笑)
コメントへの返信にも書きましたが、扇屋さんの次回の『しみ抜き教室』の開催が決定したようですので、お知らせしておきます。
●きもの工房扇屋『しみ抜き教室』
2011年3月13日(日)
会場:佃区民館3階 東京都中央区佃2ー17ー8
詳細及び申し込みは、きもの工房扇屋さんのHPからどうぞ。
http://www.ougiya.tv/index.htm

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諏訪回想録7
最初に訪れたのは、下社の木落し坂。
そうです、御柱祭で、鈴なりになった人を乗せた御柱が滑り落ちる、あの坂です。

なんと最大傾斜度35度、坂の長さは100mにも及びます。
坂の下から仰ぎ見た時には、こんなもんか・・・という舐めた感想を持った私ですが、いやいや上から下を覗いて見ると、怖い怖い。
ここから大きな柱に跨って滑り落ちるのは、相当なものです。
一方、上社の木落し坂はと申しますと、最大傾斜度は27度、坂の長さが36m。
下社より穏やかそうに聞こえますが、下社より伐採が遅い分、柱は10t超えの重さなのだそうです。(下社は乾燥期間が長いため、6~8t。)
その上、上社の御柱は曳航の際には、『めどでこ』と呼ばれる長い棒がV字型に取り付けてあり、その上に人が跨るのですから、バランスを取るのはとても難しい。
危険という点では、どちらも変りないようです。

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諏訪回想録6
鳥居をくぐると、布橋という70mにも及ぶ長い回廊が現れます。

江戸時代までは、この回廊に布を敷いて、『大祝-おおほうり)』という現人神(あらひとがみ)である最高位の祀官のみが、渡ることを許された橋でした。
私達が訪ねたのは、11月頭の祝日の頃。
上社本宮は七五三の参拝客で賑わっており、キモノ姿の親御さんも多く、お爺さんお婆さんを含めた一家総出の、お祝いがなされておりました。
儀礼的であるというよりも、諏訪の神様が地元の人達に愛されているところを垣間見た感じとでもいいましょうか、生活から遠くないところに、神社が機能しているとでも申しましょうか・・・なかなかに良い景色でございましたよ。
儀式中の方が多くありましたので、観光客である私達も、拝殿にカメラを向けるのは無礼な感じがして、ここは自粛。

上社本宮の社殿はほとんど撮りませんでしたが、御神体山である守屋山を背景に建つ社の姿は、なかなかに忘れがたい風景でした。
写真は上社本宮の一の御柱。

キラ~ン♪

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諏訪回想録5

ここ神長官守矢史料館では、先の前宮の御頭祭の復元展示を見ることが出来ます。

中世から明治時代まで、上社の神官の最高位『神長官』の任を、一子口伝で引継ぎ、務めたのが守矢氏です。
守矢一族は、諏訪に建御名方命(たけみなかたのみこと)が入って来る以前、先史時代からの諏訪地区の信仰の祭司家でもあり、諏訪の歴史からは切っても切り離せない一族なのだそうです。
資料館の建物は、諏訪出身の藤森照信氏による設計。
資料館からすぐのところには、その藤森氏の茶室である高過庵(たかすぎあん)が、ぽっかりと空に浮かびます。

その高さ地上6.5m。
藤森氏個人の持ち物ですので、通常、中に入ることは叶いませんが、ムーミン谷にでもありそうな、とてもかわいいお茶室です。(でも、お茶道具を運び込むのは大変そう・・・。笑)
低過庵を建てられる計画は、その後どうなったのかしら・・・?

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諏訪回想録4
その時のツレは、うにさと我が母やすこ。
日帰り旅行ではありましたが、内容の濃い一日でありました。
5年も前のことですが、丁度、今のデジカメを購入した直後でしたので、写真をご紹介しつつ振り返ってみたいと思います。(あ゛~、昨年の御柱祭から話がどんどん逸れておりますわ・・・長くなるねぇ。苦笑)
まずは、上社前宮からスタート。

御柱、そそり立っておりますね~。
4社の中で、一等古式ゆかしい鎮守の杜の風情漂うお社は、諏訪信仰の最も古い形を伝える御頭祭が執り行われるお宮でもあります。

嘗て、御頭祭では、神前に75頭の鹿の頭と禽獣魚介など、数十台に及ぶ神饌が捧げられ、75頭の鹿の中には、必ず耳の裂けたものがあったとか・・・諏訪の七不思議の1つなのだそうです。

お宮の周りは緑濃く、『水眼-すいが』という名の清流も流れており、とても静かで、緑に洗われるような清々しい場所でありました。

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諏訪回想録3
例によって、ざっくりとまとめれば・・・
高天原(たかまがはら)に住んでいる神様達が、出雲を支配していた大国主命(おおくにぬしのみこと)に、葦原中国(あしはらのなかつくに→日本)も「天照大神(あまてらすおおみかみ)の子孫が統治するべきだ!」と、いちゃもんを付けたことから事件は始まります。
大国主命は
「長男がいいって言うなら、僕は反対しないよ~。」
「次男にも聞いてみないとねぇ・・・。」と、のらりくらりとした返事をします。
結果、長男はあっさり承諾。
腕に覚えのあった次男の方は、一旦は抵抗してみたものの、相手の神様はめっぽう強かった!!
科野国(しなののくに)の州羽海(すわのうみ)まで逃げたところで、「ゼ~ッタイ、ここから出ないから、許して!!」と頼み込んで、次男はその地に留まることとなり、葦原中国は大国主命から高天原の神様に譲られた・・・というお話。
・・・で、このお話の次男坊が、諏訪大社のご祭神のひとりである建御名方命であります。
この話だけ聞くと弱そうな神様に思えますが、建御名方命さんは、日本の神様では三本の指に入る強い神様です。

小学生の頃、『古事記』を夢中になって読みました。
中でもこの国譲り神話は、とても記憶に残る物語でした。
そして、いつしか私の頭の中では、建御名方命さんは、追われて諏訪に閉じこもっている神様ではなく、東の果て(出雲や私が住んでいた広島から見ると)を警護するために置かれた神様であるとの認識に変換され、諏訪大社は訪ねてみたい場所のひとつになっておりました。
大人になって古事記を読み返した時、自分の頭の中にあったお話と、物語の間に差が出ていることを、とても興味深く思ったものです。
ざっくりざっくり、掻い摘んだお話。(詳細が面白いのにぃ・・・。苦笑)

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諏訪回想録2
凡そ、本州の中央に位置する長野県の諏訪湖。
その湖の南北に、諏訪大社は4つの宮を構えます。
諏訪に詳しい方には、なんてこと無いお話であると思いますが、名前を覚えるのが苦手な私には、ここから先はちょっとややこしい・・・。苦笑

大きくは、上社と下社のふたつに別れ、諏訪湖南側にあるのが『上社』、北側にあるのが『下社』です。(上下と南北は対応しておりません。)
池袋の東武デパートと西武デパートみたいな感じだワ・・・。苦笑(西口に東武、東口に西武)
更に、この上社と下社は、それぞれ2つづつの宮を配します。
上社には『本宮』と『前宮』。
下社には『春宮』と『秋宮』。
それぞれの名前は諏訪大社の歩んできた歴史と深い関係があるようですが、『前』と『後』でもなければ、『春夏秋冬』でもないので、どの組み合わせが正しいのか、微妙に混乱しそうになります。汗
ご祭神は、建御名方命(たけみなかたのみこと)と、そのお妃の八坂刀売命(やさかとめのみこと)。
加えて、下社には建御名方命のお兄さんである八重事代主神(やえことしろぬしのかみ)が祭られています。

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諏訪回想録1
多分、長くなりますこのお話・・・。苦笑
確か・・・昨年は、2月あたりに前年の夏のお話を長々とさせて頂きました。
(詳しくは『季節外れの真夏の西国旅行のお話・・・四国編1・2・3・4・5・6・7・8・9・10・11・12・13・14・15・16・17・18・19・20・21・22・23・24・25・26・27』『季節外れの真夏の西国旅行のお話・・・広島編1・2・3・4・5・6・7・8・9・10・11』をご覧下さい。ホントに長い・・・。)
一昨年は、年明け早々に前年の秩父夜祭のお話でした。
(詳しくは『秩父夜祭1・2・3・4・5・6・7・8・9』をご覧下さい。)
年明け恒例(??)、去年を振り返る長話シリーズ第3弾の幕開けです!!(ホントは、大事に取って置き過ぎて、時間が経過してしまっただけですが・・・。苦笑)
2010年のゴールデンウィーク明けのこと、うにさとふたり、長野県諏訪市まで出かけて参りました。
目的は、かの有名な諏訪大社の『御柱祭』です。

御柱祭と言えば、勇壮な木落しを思い浮かべられる方が多いことと思いますが、私達が訪ねたのは、祭も最終日の『里曳き』と『建御柱(たておんばしら)』。
ワクワクしながら当日を待ち焦がれていた私達でしたが、出発の2日前、予期せぬ事故で、2人の方が亡くなられるという悲しいニュースを耳にしました。
非常時に物見遊山で伺うのは申し訳なく、予定を見合わせようと、案内を申し出てくれていた諏訪出身の友人に連絡しましたところ、
「こういう時にこそ、予定通りに来て欲しい。」
との一言。
そうです、これは決められた祀りごと。
いろいろな思いを胸にしながらも、粛々と祭は進めねばならぬのです。
諏訪人の御柱に対する熱い思いを受け取り、亡くなられた方のご冥福を祈りつつ、下諏訪駅へと降り立ったのでありました。


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2011年の出初め

この日は銀座へ。

松竹梅の小紋に、みささんのねじり梅の羽織。

帯留には引き続いて薩摩ボタンの波うさぎ。

向かった先は、松屋銀座。
ご想像の通り、池田重子コレクション『日本のおしゃれ展』であります。

たくさんの方が足を運ばれてネット上に感想なども書かれておりますので、ここは簡単に・・・。
ひたすらうっとりする展覧会でありましたが、会場内での、溜息やら囁きに耳を傾けるのが面白い展覧会でもありましたよ。
「貰えるならどれが欲しい??」という会話は、多かったですね。笑
ところで私、この日、大きな勘違いをしておりました。
実は、広島にお家元のあるお茶の流派『上田宗箇流』のお道具展が松屋銀座であるとの情報を得て、それも楽しみにしていたのです。
しかし、しかし、相も変らぬうっかり者。
開催は丸々1年先の予定・・・、月日は合っていても、年が違っておりました。汗

そんなわけで、この日の帯は茶道具柄。

ま、いいか・・・。

電車の中での居眠りのせいで、帯の形も崩れておりますが・・・

それも、ま、いいか・・・。苦笑

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遅い着初め

今年はキモノのスタートが随分遅くなってしまいました。
毎日キモノを着るような生活はしておりませんが、それでも2週間近くキモノに袖を通さなかったのは久しぶりのことでございます。
久々に袖を通し、今更ながらに思ったこと・・・温い・・・腰が楽だぁ~~~。


ここ数日、寒くて寒くて、室内でありえない厚着をしておりましたが、普通に袷のキモノを着て、割烹着を着れば少し汗ばむ程ではないですか。
なんだ・・・キモノ着れば良かったんじゃない。苦笑
特にどこかに出掛けるわけでもないお家キモノですが、一応新年らしい感じにまとめてみました。

緑の梅鉢のおキモノに、正尚堂さんで頂いた宝尽くしの繻子帯。

帯留代わりに、薩摩ボタンの波うさぎ。

薩摩ボタン、かわいくて大好きなのですが、25mmサイズのラインナップがもう少し増えるといいのになぁ・・・15mmサイズは帯留代わりにするには、小さ過ぎるのが惜しいと思うのです。
今年も楽しくキモノが着られますように。
素敵な出会いがありますように。
そして、必要以上にモノが増えませんように・・・諸々。

頂いたコメントへのご返事が滞っておりますが、近々必ず!!
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お手入れ事情を考える3
昨日は丸洗いについてのお話でしたが、本日は洗張りについて少々。
洗張りとは、大雑把に言えば、キモノを解いて水に通して『洗い』、張板や伸子(しんし)や湯のし等で布の歪みを『張り』直す、キモノ独特の洗濯法です。
細かい方法論についてはここでは述べませんが、得意とする汚れは何か?
そうです、水で洗うのですから、もちろん落ちるのは水溶性の汚れです。
丸洗いとは間逆で、油性の汚れは基本的に落ちません。
では、もし自分のキモノに油汚れと水汚れの両方が混在していたら?
あるいは、何が由来か解らないシミのついたキモノを手に入れたら??
どういう手順でお手入れを進めるのが良いのでしょう??

間違ったお手入れを選んで、そこに熱が加われば、シミはより落ち難いものへと変化してしまうのですから、運命の分かれ道ですね。
現在のところ、私が経験から得た回答としては、丸洗いでもなく、洗張りでもなく、まずはシミ抜きとして悉皆屋さんに相談することです。
実は、先日お話した扇屋さんでお願いして見事シミを取ることが出来たおキモノ以外にも、この手順でお手入れに成功した経験があるのです。
そのおキモノの場合は、更に別の悉皆屋さんでありましたが、古い食べこぼしと思しき大きなシミ抜きをお願いし、「テスト」をして「出来ます」との回答があり、その上で、白地のおキモノでしたのでシミを抜いた箇所が綺麗になり過ぎる可能性があるので、全体を丸洗いさせて欲しい・・・との打診がありました。
このおキモノは、ブログには何故かまだ登場させたことがありませんが、綺麗にシミ抜きもされ、お手入れとしては大成功でした。
自分で汚れの性質を見極められない以上は、まずは、プロに汚れの性質を見定めてもらうことが大事なことの様に思われます。
そしてその性質が見定められないようであれば、別の悉皆屋さんにも意見を聞くこと。
時間も手も掛かりますが、絶対に何とかしたい・・・と思うキモノであれば、ここは頑張りどころです。
もちろん、一番最悪なのは、出来ないことを出来ると言って生地を駄目にされてしまうことですから、「出来ない」と言われた場合は素直に、「返却して下さい。」と言うことが大事。
「シミ抜きは出来ない」という返事が、『絶対的に』出来ないのか『うちの店では』なのかを確かめるまでは、何もしない方がいい。
ここで「では、出来るところまで・・・(洗張りのみ)」と言ってしまったことが、私のトラブル発生の起点であったように思います。

そして、最後に、私が今回のことでもう1つ反省した点についても加えておきたいと思います。
『京都』ブランドについて。
私がお手入れを失敗した理由のひとつに、コレがあったと思うのです。
京都のお店だから、ある程度のクオリティが保証されているのではないか?キモノの扱いに慣れているのではないか?
今思えば、かなり浅はかな発想なんですよね。
たとえ京都という土地が伝統文化の上に成り立っているとしても、京都にあるもの全てが、それらを継承し、満たしているとは限らない。
しかし、過去に、実家の広島の悉皆屋さんから「うちは、京都に仕立ては出してますから心配ありません。」と言われたことがあるように、なんとなくキモノの世界には『京都』ブランドってあると思うのです。
ああ・・・じゃあ、大丈夫なのかな??みたいな・・・。
昔、北海道出身の友人に「『北海道産』って書いてあると、何でも美味しそうに見える・・・」と言ったら、「北海道産の不味いものもいくらも知ってるから、私はそんな風には思えない・・・」と返されたことがあります。苦笑
地元の事情に詳しい方が惑わされないことでも、外側から見ると確証の無いイメージに左右されることってあると思うのです。
実際に、今回の扇屋さんのシミ抜き教室の相談コーナーで、もう一人私以外に可哀想なおキモノを携えて来られた方がいらっしゃいましたが、その方の口からも「京都でお願いしたんですけど・・・」との言葉が漏れておりました。
もちろん、京都でちゃんとお仕事されている方にとっては、とても失礼なお話をしているとは思いますし、全てを括ってお話するつもりはありません。
むしろ、ちゃんとしたお仕事をされている方は、京都の名前を付けていい加減なお仕事をされている方達に対しては、外に出さないだけで厳しい気持ちを持っておられるかもしれませんね。
そんなわけで、今回の件は、消費者としての自分に甘さがあったことも、忘れてはならない点だと思った次第です。(あ・・・でも、怒ってない訳じゃないですよ!人並みに怒ってます!!ガルルルル~~~・・・。)

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お手入れ事情を考える2
簡単に言えば洋服のドライクリーニングの様なもので、揮発性油(種類はあるようですが・・・)で、キモノを解かないまま洗う方法です。
落ちる汚れは、当然、揮発性油で溶かすことの出来る油性の汚れ。
ところが、ごく軽い水溶性の汚れが、この丸洗いで落ちることがある・・・おやおや??ちょっと不思議でしょう。
その謎について、扇屋さんにお訊ねしたところ、ドライクリーニングの方法として、揮発性油の中にほんの少しの『水』とそして『洗剤』を加える方法があるのだそうです。(扇屋さんではその方法は採られておりません。念のため!!)
両親媒性(水にも油にも馴染む性質)を持つ洗剤を介することによって、本来は混ざるはずのない水分と油分が結びつき、ごく軽い水溶性の汚れであればドライクリーニングでも落とすことが出来るという効果が得られます。

これを聞いて、なんてスバラシイ!!と思われる方もいらっしゃるでしょう。
いえいえ、洋服のドライクリーニングならばそれでもいいのです。
しかし、ここで話しているのはおキモノのクリーニング。
相手は主に絹ものです。
この方法をキモノに取った場合、当然のごとく、若干の水分と洗剤分がおキモノに残ります。
お手入れから戻って来た時には、綺麗になったわ♪と喜んでいたのに、箪笥に入れて置いただけで、身に覚えのないシミが出てきた・・・なんてお話を聞いたことはないでしょうか?
洗剤分も水分もおキモノには大敵、目先のシミは落ちても新たなシミを発生させる基となってしまうのです。
恐いでしょう・・・。
では、洗剤も水も入れないで丸洗いをされている場所であれば安全なのでしょうか??
恐ろしいことにまだまだ落とし穴はあるのです。
キモノそのものが完全に乾燥したものではない以上、僅かな水分を含んでいます。
丸洗い用の揮発性油を繰り返し何度も使っていると、溶剤の中に徐々にキモノが持っていた水分が溜まって来るのだそうです。
そうなるとどうなるでしょう??
最初のうちはキモノを綺麗に洗ってくれていた溶剤ですが、時が経つにつれて逆に溜まった水汚れをキモノに移してしまうことになり、後々シミを作る原因をクリーニング自体が与えることになってしまうのだそうです。

いかにして揮発性油に不純物が入らない状態を保つか・・・溶剤の交換頻度や水を抜く方法に至るまで、業者によって様々なのだとか。
このあたりは、ダイレクトに金額に影響する部分でもありますね。
聞けば聞くほど、話せば話すほど、恐いお話。
あまり恐いお話は好きではありませんけど、トラブルを回避するためには、知ることは必要ですよね。
忌憚なくお話して下さった『扇屋』さんには本当に感謝しております。
明日は、洗張りのお話と、今回のことでの私自身の反省点についてお話してみたいと思います。

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お手入れ事情を考える1
(ここまでのお話は『扇屋さんの『キモノしみ抜き教室』へ1・2・3・4・5』をご覧下さい。)
扇屋さんのお教室で、学んだことは多くありましたが、一等最初に教えて頂いたことは『シミ抜きにおける大切な3つのポイント』。
1:こすらない
2:熱を加えない
3:広げない
今回発覚したトラブルでシミが落ちなくなった原因は、主にこの2番目にあたります。
1つのキモノには洗張りすらしてなかったわけですが、洗張りがしてあろうとなかろうと、シミに熱を加えることはタブーなのです。
もちろん、普段、着用前にアイロンをかける際にも、シミの上は避けねばなりません。
殊に、たんぱく質系のシミは、熱で固まる性質を持っておりますし、それ以外のシミであっても熱を加えることで酸化が進んでしまったりする恐れがあります。
丸洗いや洗張りで落ちるシミであれば、お手入れはシミ抜き無しで済ませてしまいたい・・・と私も思っておりました。しかし、これが大きな落とし穴。
そうなんです、丸洗いや洗張りの仕上げには、必ず湯のしやアイロン掛けなど熱を加える作業が含まれることに頭が回っていなかった・・・。

皆さんは、丸洗いや洗張りをすることで、軽いシミが落ちた経験がないでしょうか?
私はあります。
ああ・・・シミ抜きまでしなくても助かった・・・と思っていました。
では、そのシミはどうして取れたのでしょう??
明日はそのあたりのお話をしてみたいと思います。

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扇屋さんの『キモノしみ抜き教室』へ5
実は『きもの工房 扇屋』さんの『キモノしみ抜き教室』では、プログラム終了後に、お手入れの相談のコーナーがありました。
先に書きました通り、余所の悉皆屋さんで「難しい」と言われて、いつか扇屋さんに・・・と思っていたおキモノを、私、ここぞとばかりに持参いたしていたのです。
今回持って行ったのは2枚。
どちらも生地が弱っているため『洗張り』は出来ても『シミ抜き』は出来ないと言われて、洗張りのみされて戻って来たハズのおキモノでありました。
既に講義の中のお話から、もしや私が持参したキモノたちは、危機的なことになっているのでは??という予感。
私の前に、他の方がお持ちになったおキモノで「お手入れに出して更に困ったことになったキモノ」が飛び出し、その予感は徐々に確信へと変りつつあったのですが・・・実際に私が持参したキモノの1つを見て扇屋さんから出た言葉は想像を超えておりました。
「コレ、洗張りしてないですよ。解いて端縫いをして、汚れた状態の上に熱を掛けただけですよ・・・。」
ええ????
この時のことは家田さんのブログでも紹介されております。
私はもちろんのこと、同じお仕事をされる職人さんとして家田さんや助手の方にも、とてもショッキングな出来事でした。
どうしてこんなことが起きているのか??
もう1枚のキモノの方は、洗張りはされている様子でしたが、そちらの方もこの生地であれば、シミ抜きは可能であったであろうとの回答。
ただし、シミ抜きをせずに、洗張り、そして熱処理をしてしまったことで非常に落ち難い性質のものに変化してしまっている・・・とのこと。
更にイケナイのは、シミ抜きが出来るかどうかのテストを布の端ではなく、生地のど真ん中でされていること・・・こんなこと、プロの目で見なければ絶対に解りませんワ・・・。

唸る家田さん、頭が真っ白になる私。
「この状態からでも、うちで預かって綺麗にすることは出来ますが、ものすごく時間も手間も掛かるので、かなりの金額になってしまいますよ・・・。」
そうですよね・・・私にも理解出来ます。涙 (でも、出来るんだぁ・・・。)
この汚れじゃウチでも無理ですね・・・と言われれば、諦めもついたかもしれません。しかし、事実はそうではなかった。
容易に落とすことが可能であった汚れが、お手入れをしたことで悪化し、手の掛かる汚れへと変容してしまったのです。
更には何故か頼んだハズの洗張りすらまともにされていなかった・・・この事実にどう対処すべきなのかが解らない。
もちろん、お値段の安いところに出しましたので、何かしらの違いはあるのかもしれないとは思っておりましたが、これ程のリスクを負うことになってしまうとは・・・。
そしてすぐさま私の頭の中を霞めたのは、たった今、そのお店にお手入れに出しているものがあること。
あのキモノたち・・・大丈夫なんだろうか???
目を白黒させながら肩を落とす私に、「あまりにもひどいから、お店の方に言ってみてもいいんじゃないですか?」とのお言葉。
しかし、この可哀想なおキモノを洗張りに出したのは4年以上も前のこと。お店の方で覚えておられるかどうかも怪しい。
せめて、何もしないで返却してもらえたなら、こんなことにはならなかったのに・・・。
結局、トラブルのあったお店には事の経緯を告げて、預けていたキモノのお手入れはストップ。(どうにか間に合いました!!汗)
でも、不思議なんですよね、これまでそこでお願いしたものの全てが不出来だったわけではないのです。ちゃんと満足の行く仕上がりのものもあるんですよ・・・。
悉皆屋さんの価格の差には、使っている溶剤の原価からして差があること、かと言って値段で仕上がりの差が判るかというと、高いお値段で受けて安い下請けに出してしまう業者さんもあるそうで、値段だけでは判断出来ないこと・・・丸洗い1つを取っても、お店によって方法や溶剤の配合などがかなり異なることなど・・・なんだか何を基準に悉皆屋さん選びをすればいいのか??本当に解らなくなってしまいましたよ。
確実に言えることとしては、『シミ抜き』が出来ないと言われた場合、セカンドオピニオンを必ず求めること。
そして、シミ抜きの前に洗張りをしないこと。(洗張りで落ちなかったらシミ抜き・・・という発想は怪我の基。シミ抜きの後に洗張りが正解。)
これまでいくつかの悉皆屋さんでお手入れをお願いして参りましたが、自分の判断の甘さも反省しつつ、少し体系を考え直したいと思った次第です。
ご商売のお邪魔をするのは憚られますので、特定のお名前を上げることは致しませんが、お心当たりのある業者の方々、キモノの未来を考えた仕事をなさって下さいまし!!
この世に、可哀想なキモノが増えませんように・・・。涙

うちの可哀想なおキモノは・・・、直ぐには私たちの実力ではどうにも出来そうにありませんので、扇屋さんにお願い出来る日を夢見ながら仕事(自分達に出来る努力)をしたいと思います。(あ・・・、若々しい柄行なので、間に合わないカモ・・・!!汗)

*この記事を書くにあたり、諸方面にご迷惑が掛かることの無いように、過去記事の中で悉皆屋さんのお名前とリンクは全て外させて頂きました。
苦渋の選択ではありましたが、頂いたコメントの中にも削除させて頂いたものがございます。
関係のない悉皆屋さんにご迷惑が掛かること、そして記事から今回トラブルのあった悉皆屋さんを特定出来てしまうかもしれないこと、更には当ブログからそのお店をお知りになり同じ様な目に合う方が発生することを防ぐためには、この方法を取るよりはありませんでした。
どうぞご容赦下さいまし。
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扇屋さんの『キモノしみ抜き教室』へ4
午前中の『講義』と『実演』から打って変わり、午後は『実技演習』へと入ります。
口で吹くタイプの霧吹きの練習から、持参したキモノで実際の衿洗いや袖洗いを体験するのです。
少しくらい度胸が無くとも、家田さんや助手さんが見ていて下さるので安心。
しみ抜きの際に心配な『輪ジミ』への対処法も教えて頂きました。
いやはや、実際に自分でやってみると、これが・・・面白い程汚れが落ちる。笑
最初は恐々でも、やっているうちに「もっと、もっと激しく汚れたものが欲しい!!(本末転倒)」という気分になって来るのですから不思議なものです。
持参していたお抹茶のシミにも、その場で挑戦!!

写真では判りにくいですが、親指の先くらいの大きさのハッキリとしたシミです。
汚れの様子を確認しながら、布目にそってブラシを動かして・・・

きれいさっぱり♪
嬉しいなぁ~~
受けて本当に良かったと思える授業でありました。
帰り際に、次回の開催について家田さんにお訊ねしたところ「七緒さんでDVDにまとめましたから、ひとまず次回は考えてないんですよ・・・」とのお話。
でも、DVDでは聞けないお話や、細かい点まで直接指導して頂けるお教室は、何倍も勉強になるのになぁ・・・。
そうなんです、七緒さんのDVDは副読本として丁度良いと思うのです。(特に、私の様に忘れっぽい人間には・・・)
「まぁ、ご希望があれば、またやりますよ。笑」とのお声が最後の最後にありましたので、ご希望の方は、扇屋さんにラブコールしてみて下さいね♪

アイロンのあて方講座とか追加してもらえたら、また行ってしまうかも・・・。笑
良い勉強が出来てご機嫌の私でありましたが・・・、この後、頭を横殴りにされるような衝撃の事実と対面することになるとは・・・。
そのお話はまた明日。(イヤーーーーー!!涙)

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扇屋さんの『キモノしみ抜き教室』へ3
この日は朝から始って、順を追いながら4つのプログラムが用意されておりました。
●しみ抜きの基本編:着物のシミの応急処置
1. シミを付けてしまった時の応急処置(実演)
2. しみ抜きセットを使っての抹茶のしみ抜き(実演)
3. 雨シミ、泥はねについて
4. 着物の保管方法・防虫剤・カビについて
●衿洗い 基本編:しみ抜きセットの使い方とと注意(実演)
1. 衿汚れの分析
2. 道具の使用方法
3. 衿洗いの方法と注意(実演)
●衿洗い 実践編:しみ抜きセットを使っての実技講習
手持ちの着物を使っての衿の汚れ落とし(実技)
●袖口洗い 実技編:しみ抜きセットを使っての実技講習
手持ちの着物を使っての袖口の汚れ落とし
通しで受講される方もいらっしゃれば、初回だけ、あるいは以前に午前の2つを受講済みで午後だけ受講の方もありました。(私はもちろんフルセットで。笑)
受講者の眼差しは真剣そのもの。
一方、講師である家田貴之さんは、穏やかに解り易く、そして軽やかに講義と実演を進められます。
しみ抜き基本編ではお醤油(水性の汚れ)、シュークリーム(油性の汚れ)、野菜ジュース(色素を含む汚れ)、抹茶(水分は含むが完全に水溶性ではない汚れ)が、躊躇いもなく明るい色目の着物に乗せられ、あれよあれよと言う間に見事なシミに・・・悪夢を見る様・・・。
そして、これらの恐ろしいシミが、家田さんの手によって手品の様に次々と消えていくのです。
ス、スゴイ!!
もちろんこれはあくまでも応急処置。
消えたように見えるシミでも後から出てくることがあるので、お手入れに出すことは必要だそうですが、この応急処置が出来るか出来ないかで、シミの重症度もかなり違って来るのだそうです。
殊に、お抹茶のシミの場合は、この応急処置をしておけば慌ててすぐに悉皆屋さんに駆け込まずとも、シーズン終わりに「ココにお抹茶のシミを付けて応急処置をしました」と言ってお手入れに出せば良いとのこと。
コレは使える!!
更に、衿洗いや袖口洗いには、開眼!!
そうか・・・汚れを取るのではなく、ベンジンで汚れを他の布に移動させると考えるのね・・・。
こちら古着の大島紬の衿元。

中央にツーっと汚れがございます。
手に入れた時からある衿汚れなので、落ちるかしら?と不安に思っておりましたが・・・、

(丁度、細い枝の柄のあたりを洗い中。)
家田さんの実演によって、見事に古い衿汚れも落ちました。
少し布をずらした写真で見て頂きましょう。

画面向かって左のさらしの上に、衿汚れがそのままに移し取られているのが解るでしょうか?
衿の汚れが残っている部分(写真中央から奥)が、衿洗いをしていない箇所。
写真の極々手前の汚れの無い部分が、洗った後の衿になります。
お見事としか言いようがない。
「汚れはベンジンで叩くのよ・・・」と祖母ふみゑさんから教えられておりましたが、実際に体験したプロの衿洗いは、叩くこともなく全く異なる感じのものでした。
成功のコツは、速度とケチケチしないベンジンの使い方と、大胆さ・・・かな。笑
しかし、衿洗い1つでも、このお手入れに耐えられるかどうをキモノの目立たない部分で最初に確認する点も、プロの慎重さであると頷かされました。(特に、大島紬は色落ちすることがあるので、確認は絶対必要だそうです。)
職人さんって、やっぱりスゴイです・・・。
続きはまた明日。

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扇屋さんの『キモノしみ抜き教室』へ2
・・・と言いましても、色々な媒体で紹介されている有名な悉皆屋さんですから、キモノを着られる方ならば、恐らく名前を目にされたり耳にされたことも多いことと思います。
うまくご紹介出来るかなぁ・・・?
まぁ、実際にお世話になった私の感想くらいに聞いて下さい。笑

扇屋さんは、東京は佃(最寄駅は月島駅)にある、100年以上も続く小さな悉皆屋さんです。
流れ作業ではなく、手作業で1枚1枚のおキモノと向き合い、顔の見えるお仕事をされています。
昨今、確かな技術を持つ職人さんの高齢化が嘆かれる中、若くて技術の高い職人さんがいらっしゃること、そして不定期ではありますが、お弟子さんを取って更なる技術者の育成にも力を入れていらっしゃる点も、言っておかねばなりません。
実は、私、これまで直接お世話になったことはなかったのですが、和裁師さんを通して1度だけシミ抜きと洗張りを扇屋さんにお願いしたことがありました。(後から知ったことなのですが・・・。)
そのおキモノは、シミのある古着。
別の悉皆屋さんに持ち込んだところ、古い生地のためシミ抜きには耐えられないであろうとそのまま戻って来たものでした。(詳しくはコチラをご覧下さい。)
アンティークのキモノを扱い慣れた和裁師misakoさんが、そのシミを「取れるかも??」と見極められた眼力もスゴイと思うのですが、1度余所で断られた古いシミを見事に取って下さった悉皆屋さん、それこそが扇屋さんでありました。
以来、他の悉皆屋さんでお願いして断られたものに関しては、いつか扇屋さんでお願いしよう・・・と期待を繋ぐ日々。
扇屋さんは、私にとっては最後の駆け込み寺的な悉皆屋さんとしてインプットされたのでありました。

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扇屋さんの『キモノしみ抜き教室』へ1
色々ありますが、まずはキモノのブログらしいお話をいたしましょうかね。(しばしば脱線しておりますが、一応、キモノのブログという体裁を取っている自覚はあるんですよ・・・。苦笑)

12月初旬のこと、悉皆屋『きもの工房 扇屋』さんの『キモノしみ抜き教室』を受講して参りました。
きっかけは、お茶のお稽古。
11月のお稽古で、ポトリとお抹茶をキモノに落としてしまったことからでした。
帰宅後、お抹茶のシミの落とし方を調べたところ、すぐに辿り着いたのが扇屋さんのHP。
12月の『キモノしみ抜き教室』の応急処置の実演の欄に、『抹茶のシミ落とし』の文字を見つけたのです。
そうか・・・そうよね、お茶を続けている限り、これから何度だってこんなことが起きるかもしれない・・・、覚えるなら早い方がいいわよね・・・。
扇屋さんの家田貴之さん監修のDVD付き七緒別冊『着物すっきり。「お手入れ」大百科』の出版目前ではありましたが、善は急げとばかりに申し込みをしたのでありました。

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ドタバタの年末年始

年末年始、各地で大雪が降ったようですが、楽しいお正月をお過ごしになりましたか?
スタジオクゥは、昨年よりも更にお正月らしくない日々を過しておりました。涙
仕事がね、あることは解っていたことなのですがね、年末に少しばかり他のことでもバタバタいたしまして・・・。
実は、年明け1月末のお引越しを計画し、契約書を交わす寸前まで行ってお断りするという事態が起きまして・・・なにやら呆然と年を越してしまいました。
仕事を抱えてのお引越し故に、1ヶ月くらいはブログもお休みさせて頂こうか?
年賀状は無しにして、落ち着いてから転居ハガキでのご挨拶の方がいいよね・・・??
図面を見ながら、
「畳の部屋は絶対譲らない!!」
「新しいお家では、図書館スペースを作ろうか?」
「ここには新しいテーブルを買ってもいいね♪」
「ひよさの持ってるあの荷物はこの機会に捨ててね!」
「いやいや、うにさの方こそ、あれを新しい家に持ち込まないでよ!!」
・・・と日々仕事の合間に話すことは新生活のことばかり。
そうなんです、私たち引越し計画をかなり楽しんでいたのです。
いや・・・本当に、あんな土壇場で契約をこちらから断るようなことになるなんて、思ってもみませんでしたワ・・・。
不動産屋さんの担当者さんも一生懸命な方でしたし、物件もとても気にいっていたのですが、思いがけないところで人には曲げられないことがあるものです。
断る原因になったのは、その不動産屋さんに導入されている家賃の支払いシステムでありました。
大手の不動産屋さんであったのですが、支払いがカード会社を通す仕組みになっていたのです。
毎月、家賃以外に、手数料としてカード会社が家賃の1パーセントを受け取る・・・銀行から自動振込みにしたって、そんなに高い手数料は発生しないのに、何故にカード会社を通さねばならぬのか??
この事実を説明されていなかったものですから、書類を用意するために自宅に持ち帰って発見した時には、驚愕いたしましたよ。
カード会社を通す契約は、近年、保証人を立てない契約の場合に取られる方法としてあるようですが、私たちは保証人を立てる契約でしたし、何よりも、どうしてそんな大事な情報を説明しないのか・・・?
不動産屋さんに電話をして、それについての説明を求めたところが、かなり無理のある解説。
辻褄・・・合ってないんですけど・・・。
折り返し再度電話を受け、説明不足でしたから月々の手数料を安くしますから・・・との打診。
駄目です・・・益々話の辻褄が合わないし、そういう問題じゃないんです・・・契約するのが不安です。涙
ご縁が無かったのね・・・。
1ヶ月近く、このお引越しに向けて心躍らせ準備を進めていた私たちは意気消沈。
もちろん、不動産屋さんの担当者さんも溜息。
おまけに、見積を頼んであった引越し屋さん3軒からはジャンジャンと電話が鳴り、これまた受話器越しにガックリと肩を落とされ、たくさんの人の溜息を聞く年末となってしまったのでした。
ああぁぁぁ・・・自分が溜息つくのはもちろん嫌ですが、人の溜息を聞くのも結構なストレス・・・。
そして、取りやめにする予定でいた年賀状は必要となり、ふたり、新年の朝陽を浴びながら年賀状描くこととなったのでありました。

2011年、果してスタジオクゥはお引越し出来るのか?
波瀾の幕開けではありますが、いかなることも楽しみながら進んで行きたいと思います。
ちなみに、仕事三昧のお正月、スタジオクゥの息抜きは、何故か歌舞伎調で会話をすることでありました。(大げさな身振り付きでないと話し難い・・・。)
ん?初詣ですか??まだ行っておりませぬ。苦笑

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