2010年3月おの稽古2

この日もロミちゃん宅からの頂きもののおキモノに袖を通しました。(頂いた経緯については『友人ロミちゃんについて1・2・3』をご覧下さい。)

さてこのおキモノ、頂いた折から、御所車や平安風の人がちらほらと描かれていることには気づいておりましたが、やや渋めのピンクのおキモノでしたので、もう少し年を取ってから着ようと箪笥に仕舞い込んでおりました。
衣替えの時や、他のキモノを捜している時などに眺めては「小さい人が居るキモノ・・・」と呟いておりましたが、今年の春になってやっと気づいたのです。

ああ・・・このおキモノは、満開の桜の中を人が歩いているキモノであったのか・・・と。
思わず、ひとり膝を叩き、いそいそと着る支度を始めました。

帯は、これまた御所車に桜の丸帯で、母方の祖母ふみえさんからの形見分けのお品。
いつにない感じのコーディネートになりましたが、黒のかたばみの羽織を羽織ったところで、はたと気づきます。

まるで私、入学式に出席するお母さんみたいじゃない??苦笑
しまった・・・うにさに黄色いお帽子でも被せて写真を撮れば良かった!!
実に、惜しい・・・。

かたばみの葉も、桜の花弁に見えますわね。

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2010年3月のお稽古1
ようやく復帰したのは3月も末、雛祭りもとうに終わった、桜がほころび始める頃でした。
あのお雛様に会えなかったのがとても残念な私。
自信を持って言うべきことではないと思いますが、私の頭はもちろん白紙に帰っておりました。(どうしてこんなにきれいに忘れられるんだろう・・・?)
ふりだしに戻ってばかりのお茶の道ですが、お抹茶が美味しいことには変わりナシ。(頭より舌の方が記憶は良さそうです。苦笑)

お軸は『和ゐ貴』(和以貴---和を以て貴し)。

主菓子に『鶴屋吉信』さんの『花みやび』を頂きながら、一足早い花見気分を楽しんだのでありました。

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頑張らない集い2
昼食後からボチボチと集まって、終了は小さい子どものお眠の時間次第で開かれた会合ですから、遅いお昼なのか?お茶なのか?ビールなのか?早い夕飯なのか?誰も解らない。笑
机を出して、何となく飲み物を用意し、様子を見ながら、少しづつ食べ物の皿を増やしていきます。
ヨーコさんお手製の鶏ハムやサラダが並ぶと、テーブルの上はぐっと充実。

人が増える度に、新しい差し入れが入って、食べる物に困る感じもナシ。

飲み物が足りなくなれば、誰かが近所に買いに出るまで。
お米を炊いて「ご飯食べる?」と声を掛けてご飯を盛るのも一度きり、後は、各自勝手に戸棚から茶碗を出して、好きな時に自分でついで食べてくれるので、全く手は掛かりません。
至って、ホストは楽珍♪
心配していた小さいお客様ふたりは、みんなのアイドル。

大人が彼らを包囲しているので、あまり危険も無さそう。(むしろ部屋が混みあっていて彼らの行き場は無い。苦笑)
美味しそうに食べる様子が見たくて、大人達は「食べる?」と聞いては、ハルちゃんとユキノちゃんに食べ物を捧げます。(私もその一人。)
あの小さなお腹に、大きなイチゴが5~6個は入ったかと・・・トマトやピーナッツやおにぎりも・・・彼らのお腹に大きな不思議があるように見えて来る私。笑
ハルちゃんの発達したキュートな頬袋は、型紙を起してみたいと思わせる程。
小学校3年生になるヒカル君がバイオリンを弾いてみせてくれると、それに聴き入ったユキノちゃんが、片言の言葉で「しゅごい・・・(スゴイ)」というのを聞いて、君も十分スゴイよ・・・と突っ込みたくなる。
中学生になったモエちゃんが小さい子と一緒に遊べるかと心配していたけれど、「ひよさ、お化け屋敷ゲーム出して~」と、ボードゲームを年下のヒカル君に教えてあげながら遊ぶ姿を見て、大きくなったなぁと思わず感心。(あのチンパンジーの娘モエちゃんが・・・よよよよよ・・・涙)
久しぶりに見た友人達の笑顔と、子どもの成長にぶりに、部屋の掃除がいかに大事かを、思い知った一日でありました。
懲りずに、また遊びにいらしてね♪
うにさ、座布団増やすよ!!

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頑張らない集い1
その数15名。
ちょっとした同窓会のようなものでしたが、急遽場所が我家に変更となったため、慌てるふたり。
??何って・・・いつものごとく掃除ですわよ、大掃除!!
学生時代は我家に人が大挙してやって来るというようなことは、侭ありましたので、さして驚く人数ではないのですが(10畳くらいの部屋に30人~40人ということもありましたし・・・。苦笑)、久しぶりな上に、今回はその頃とは少々勝手が違っておりました。
2歳に満たないちびっ子がね、二人もおりましたの。

これは大変!!だって、我家は子ども目線で物が並んではおりませんから、キケンがいっぱいです。
大人や口で言って止まれる子どもであれば、食べ物と飲み物があれば、転がしておいても、まぁ問題はないでしょう。(なんて、態度の悪いホストでしょう・・・。)
しかし、相手は歩き回る自由な子どもです。
どのくらいの高さまで手が届くのか?
尖ったものや、足をすくわれるもの、体重を掛けてひっくり返る台があったりしないだろうか?
正直なところ、子がおりませんので、皆目検討が付きません。苦笑
手を尽くして掃除をしても、あまり代わり映えのしない状況に、音を上げたふたり。
最終的には、開かずの間を3部屋も作り、座布団の数も足りぬまま、お招きしたのでありました。
お来し頂いた方々、行き届きませんことばかりで、かたじけない!!
ま、私としては、気楽な友人との集まりですから、お客もホストも頑張らないことが肝心と思うのであります。(いい訳、いい訳・・・。)

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暮らし家『春のお花畑 -なつかしい昭和の花畑ー』

暮らし家企画展
『春のお花畑 -なつかし昭和の花畑ー』
2010年4月23日(金)~5月5日(水)
11:30~19:00営業
*期間中4月26日(月)・27日(火)定休日

お花畑!刈り込みに行きたい!!笑
私もうにさも、只今スケジュール帳と睨めっこ中。
みなさまのゴールデンウィークのお出掛けにも、いかがでしょうか?

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3月のある日
続けて長話をするのはエネルギーが要りそうですので、本日は、軽く、おキモノの紹介など。

3月のある日、銀座まで出かけた日のコーディネイト。
こちらのおキモノは、ロミちゃん宅での頂きもののひとつです。(頂いた経緯については『友人ロミちゃんについて1・2・3』をご覧下さい。)

江戸小紋の切りばめ。
色合いから、春先の桜の頃に着たくなるおキモノですが、昨年は着る機会を逸してしまいましたので、今年の春は、しばしこのキモノを着まわしてみようかと思いましてね。(この後、何回か出て参ります。)

この日は、青地に赤とピンクの牡丹の帯。
半衿は黒地の刺繍。

羽織は、母方の祖母ふみえさんの形見分けで貰った黒地の『かたばみ(クローバー』模様。

地紋だけではなく、部分的に漆や刺繍でもかたばみが描かれております。
私の母やすこはほとんどキモノは着ないのですが、誂えた時に、祖母がとても嬉しそうにしていた記憶があったから、私のために貰ってくれたのだそうです。

ふみえさんは小さい人でしたので、仕立て直して着用。

喜んだ孫娘は、三州屋さんの海老フライを食べましたとさ。(何故か私ばかりが嬉しい・・・


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季節外れの真夏の西国旅行のお話・・・広島編11
しかし・・・お店の前に立った私は呆然。
古めかしい甘味屋さんが・・・カップケーキ屋さんに変身してる!!驚愕
私が子どもの頃、母やすこが「大学生の時によく通ったんよ。」と言って懐かしそうに連れて行ってくれたあのお店が無くなってしまったとは・・・何とも惜しい。(母さん!!去年の夏の発見だけど、哀しいお知らせでしょう・・・。)
氷に抹茶シロップではなく、お抹茶を凍らして作るかき氷はもう食べられないのかと思っておりましたところ、期間限定で復刻版のかき氷を出しているとの表示。
もちろん、頂きましたとも。

美味しくはありましたが、う~む・・・お店がポップ過ぎて、どうもしっくり来ず。苦笑

新幹線の時間を気にしながら、広島駅前の福屋(地元デパート)の地下に飛び込み、予約のモノを受け取る私達。
うっしっしっしっしっし・・・。

『うえの』さんの『穴子飯』なり!!
広島駅の売店で買える穴子弁当も数種ありますが、こちらうえのさんのお弁当は別格。
以前に、駅弁番組で駅弁王の方が『日本一の駅弁』と評しておられるのを見て、深く頷いたものです。笑

復刻版のラベルも素敵♪
この100年以上も続く穴子弁当、本来は宮島口でしか求められないものなのですが、実は市街地の三越と、広島駅前の福屋でも求めることが出来ます。
駅前福屋の方は『広島の土産コーナー』での個数限定販売ですが、旅人にとっては正に穴子の穴場。
フラリと行って買えることもありますが、確実に手にしたい方は、前日までの予約がベターです。
でもね・・・お弁当も美味しいのですが、も~っと美味しい熱々の穴子が召し上がりたい方は、宮島口にある『うえの』さんの店舗へ足をお運び下さいまし。焼きたての穴子飯が頂けます。
穴子革命、起きますよ~~。笑
なんだか・・・広島の観光大使みたいになって参りましたが(苦笑)・・・、最後の最後に駄目押しで、むさしの山賊にぎりまで買い込み、無事東京へ戻る新幹線に乗り込んだのでありました。

あっぱれスタジオクゥ、この夏の旅行で、見事に食べもの以外のお土産を何ひとつ求めませなんだ。(すごいよ、私達!!でも、ちょっと人生を考え直した方がいいかも・・・。)
そう、全ては腹の中でございます。
ひと月以上も喋り続けましたが、西国旅行のお話は、これにて、おしまい。
いや~ん、今年の3月のお話は、全部滞ってるってことじゃない!!書けるのか私???

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季節外れの真夏の西国旅行のお話・・・広島編10
(お話が長いだけで、実質は5泊(車中泊を入れて6泊)の出来事です。)
四国旅行に比べてスローペースであった広島の旅ですが、新幹線の出発間際まで、食い意地を貫き通した私達。

まずは、広島のおもたせの定番『長崎堂』さんのバターケーキを買いに走ります。

平日の昼前で、既に小型は売切れており、中型(直径21cm)をget。


目玉が飛び出る程に美味しい・・・というよりも、厭きの来ない定番の味と言っておいた方が語弊が無いように思われますが、美味しいバターケーキです。

様子がいいのも、魅力のひとつ♪
ただし、『秘密のケンミンショー』に取り上げられてからは、行列が出来て買えないこともあるとか・・・新幹線に乗る前のお土産としては、いささか危険かもしれません。
広島のお土産にど~してもバターケーキが欲しい方には(何故に広島でバターケーキなのかは、私にも解りませんが・・・苦笑)、老舗の和菓子屋『平安堂梅坪』さんの出されているバターケーキもお勧めかと。


梅坪さんは広島駅新幹線口にも店舗があるので、その点でも便利です♪

もみじ饅頭に厭きた方は、是非お試しあれ。笑

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季節外れの真夏の西国旅行のお話・・・広島編8

『マリンペンション似島』。
海沿いにある小さなペンションですが、宿泊せずともお食事や入浴を楽しむことが出来るのです。
お風呂はもちろんオーシャンビュー♪の展望風呂。

残念ながら、私は祖母とふたりでお昼寝しておりましたので、入浴はいたしませんでしたが、うにさと母やすこと父ひろしは食事の前に、瀬戸内海を満喫しながらゆったりと入浴。
こんな感じだった、らしいですよ。

お風呂の後は、待ってましたのお食事。
ヒラメのお造りに

蛸刺に

貝に甘エビ。

車海老の踊りに

煮魚に

天ぷら。

ウチワ海老のボイルに、

追加オーダーで伊勢エビまで頂き、海を眺めながら頂く海幸に気分は大宴会♪

そして、写真には撮り忘れてしまったのですが、ここで出して頂いたおにぎりが、バツグンに美味しかった!!
具ナシの塩にぎりなのですが、特別な瀬戸のお塩でも使ってあったのかしら???
食事の後は、年寄り3人は畳でゴロ寝。笑

うにさと私は、外に出て、海沿いをフラフラお散歩。

高知の海とは違う穏やかな瀬戸内の海。

こどものように水と戯れるうにさ。

8月も後半のこと、夏休みもそろそろお終いです。

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季節外れの真夏の西国旅行のお話・・・広島編7
この日はレンタカーを借り、100歳の祖母ふみゑさんも連れて、広島市に属する小さな島に渡ります。

広島港からフェリーに乗って20分程の小さな島『似島(にのしま)』。
市街地に近い島であることから、嘗ては陸軍の検疫所があったり、捕虜収容所があったり、原爆投下後には被災者が運び込まれたりと、戦争の悲しい歴史をたくさん持つ島です。
暗いイメージを持たれる方も多いかもしれませんが、とても美しい島。
そんな似島の歴史の中には、思いも寄らないスイーツの歴史が含まれております。

第一次世界大戦中、ドイツ人捕虜として似島に収容されたカール・ユーハイム氏。
嘗て中国の青島でケーキ職人であった彼は、捕虜収容所内でもバームクーヘンを焼いておりました。
1918年(大正7年)第一次大戦の終結とともに、捕虜になっていた人達にも徐々に自由が与えられるようになり、翌1919年には、広島県産業奨励館(現在の原爆ドーム)で捕虜製作品展覧会が催されました。
そこで大人気を博したのがユーハイム氏のバウムクーヘン。
はい、お解かりですね、カール・ユーハイム氏こそ、今や全国のデパートで定番の『ユーハイム』の創始者であります。
そう、似島は日本で始めてバウムクーヘンが焼かれた土地なのです。

大戦後、帰国せずに日本に残留することを選ばれた方の中には、ハインリヒ・フロインドリーブ氏やアウグスト・ローマイヤー氏などもいらっしゃいますね。
いずれも、美味しい♪笑

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季節外れの真夏の西国旅行のお話・・・広島編6
はてさて?ここはいったい何のブログやら・・・。苦笑
平和記念公園を訪ねた日のおキモノのお話。

この日は、みささん(うにさのお祖母様)の虫籠の絹紅梅のおキモノをお借りいたしました。

帯はシンプルな花柄の化繊帯。(恐らく、デイゴの花・・・)

父ひろしはこのおキモノがとても気に入った模様。
翌日、別のキモノを着たところ
「昨日のにすればいいのに・・・。」と一言。
むむむ・・・それは微妙に失言なり!!
どうせなら、着ている時に褒めるべし!
女心の解らぬひろし君、近々、帰省するので、褒めに磨きを掛けておかれますよう。(宿題デス)

しかし、温かくなって来た今日この頃。
古着店でも目が薄物を追うようになって参りましたワ。(健康的な物欲。)

同じおキモノでの前年のコーディネイトはコチラ。

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円窓乃やゝ『ナツコの夏へひとっ跳び!!』
『円窓乃やゝ』さんから、『ナツコの夏へひとっ跳び!!』のご案内を頂きましたので、ご紹介したいと思います。
『やゝ』さんと言えば、京都のアンティークキモノの人気店ですが、昨年から東京にも店舗を出されております。
今回のご案内では、やゝさんの店舗の中で、どこよりも早く単衣と夏物の販売が開始されるとのこと。

4月13日~(本日からです)
円窓乃やゝ
東京都中央区銀座1-9-8奥野ビル410
円窓乃やゝさんのある、奥野ビルは、ギャラリーなども入った古くて感じの良いビルですので、お買物ついでに、ビル内をお散歩するのもお勧めですよ。
また、4月14日よる10時より、全店ブログ、yayafutureには単衣・夏物がいっせいにupされるそうですので、店舗に行けない方にも楽しみですね♪
ああ・・・夏キモノ大好き♪

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季節外れの真夏の西国旅行のお話・・・広島編5
私の田舎では、天然の鮎が捕れるのですから、夏場に帰省したら食べないわけには参りません。
生きた鮎は、こんな状態で買って来ます。

・・・で、何故だか鮎となると父ひろしの出番です。笑

三枚に下ろして、氷水で〆て、鮎のあらいの完成♪

骨は素揚げにして、骨煎餅の出来上がり。

塩焼きは、これまた何故かいつも私の係り。

写真には撮り忘れましたが、焼いた鮎の身をほぐして、お米と一緒に炊けば、美味しい鮎ご飯の出来上がり♪
モリモリモリモリ・・・うにさとふたりだけで15~16匹も食べちゃいました。
食べ過ぎですか??
いえいえ、天然の鮎ならば、これくらいは朝飯前です。

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季節外れの真夏の西国旅行のお話・・・広島編4
実は、私自身、原爆資料館を訪ねるのは何十年かぶりのこと。
最後に足を踏み入れたのは、予備校時代だったかと思います。
最初に行ったのは、小学校1年生くらいでしたでしょうか。
日曜日に母やすこに連れられて、一日広島の歴史を勉強するかのように、広島城を見学し、平和公園のモニュメントを回り、続けて原爆資料館を見学したように思います。
目を覆いたくなるような写真やジオラマ。
子ども心に、とても怖かった。
広島では、小中高と学校で『平和教育』という授業が、年間でかなりの時間取られています。
現在の教育事情には詳しくありませんが、少なくとも、私の時代はそうでした。
小学校の課外授業で原爆資料館を訪ねた時のこと、あまりのすざまじさに気分が悪くなる子どもが続出。
資料館で目の当たりにするものは、それ程にショッキングな内容だったのです。
ところがですね、久しぶりに訪ねて、私も驚きました。
随分と展示が変っているのです。
以前は『原爆被害』が展示の中心であったように思いますが、現在は『核問題』が全面に押し出された展示になっておりました。
時代の流れとしては、適切であるように思います。
『悲惨さ』以上に伝えるべきことが見えて来ているのかもしれません。
よい展示であると思いました。
ただ、以前展示されていたものも、完全に隠してしまうのではなく、機会に応じて展示したり、企画展として公開するなどの検討は今後も必要なのではないかとも感じました。
隠すことなく、展示を成長させ、メッセージを出し続けること・・・大きな仕事です。
私自身が、長い間足を向けなかったこと、少し後悔しました。

うにさと同じように恐ろしくて『原爆資料館』に入ることが出来なかった方々、ソフトな展示になっておりますので、一度足をお運び下さいまし。
そして、私の様に、長らく足を向けていない方も、再訪されることをお勧めしたいと思います。
よい一日でした。

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季節外れの真夏の西国旅行のお話・・・広島編3
ことの成り行きについて、まずは前日の記事をお読み下さいまし。
以下の文章は、私が中学1年生当時、夏休みの宿題『聞き取りによる平和学習』で書いたものです。
爆心地から北へおよそ15kmの距離にある山間部の町の、原爆投下からその後についての様子を中学生による聞き取りによって集め、その後、全学年による1冊の文集『パラシュートが落ちた』となりました。
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ドカンという音から数分経つと、1mくらいの高さでピンク色の風が吹いてきた。
10時半頃、1頭づつ馬を連れた男の人たちが歩いて来た。
馬の背中は焼けただれ、男の人たちも火傷を負っていた。
「どうされたんですか?」と聞くと
「歩いていたら、こうなったんです。」とおかしなことを言う。
この人は横川を歩いていたそうだ。
空襲警報が鳴り、飛行機から落下傘が降り、勝木の方へ落ちて行った。
昼過ぎ頃から、避難トラックが火傷を負った人を山盛りに積んで帰って来た。
その人たちは「水、水」と叫ぶ。
バケツで水を汲み、柄杓で水を与えた。
次の日には、身元の判らない人たち、怪我人などが寺や学校に収容された。
各家から一人は寺や学校で看病しなければならなかった。
収容されている人たちは「水、水」と叫ぶが、水を飲ませては死んでしまうので、砂糖湯を沸かしてそれを飲ませる。
でも、その砂糖湯を沸かす間がとても待てないらしく「水、水」と叫ぶ。
沸きたての熱いものを仕方なく持って行き、
「冷ましてあげるから待って下さいね。」と言っている間に、もうその人は死んでいる。
8月の半ばになると、体に蛆が湧き、それを箸で取ってあげる。
死んだ人は河原に運び、トタンの上に置き、石油をかけて焼く。
9月のはじめ頃まで、行くところの無い人が残っていた。
親切につきっきりで看護をした人などは、二次放射能を受け、すぐに死んでしまう。
秋には、2次放射能のため『チフス』や『赤痢』が流行り、多くの人が死んだ。
私はこの話を祖母から聞きました。
祖母も、寺や学校に出て看護していたそうです。
チフスや赤痢にはならなかったけれど、体の調子がとても悪かったそうです。
私はこの話を聞いてぞくっとしました。
でも、本当にそれを見た祖母や、原爆にあった人たちは、それよりも何倍も怖かったことでしょう。
「水、水」と言って叫ぶ人たちの姿など、私には想像出来ません。
でも、戦争を知りたい、体験したいとは思いません。
世界中の人みんなそうだと思います。
だから、この世に〝戦争〟のなくなった時が、本当の平和だと思います。
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注:文中の『横川』『勝木』は地名です。

何分にも、中学1年生の私が書いた拙い文章ですので、読みにくい箇所については、漢字に変換させて頂きました。
後日談・・・
文集が出された後、どこかのテレビ局の人が、学校を経由して祖母にインタビューをしたいと申し入れて来られました。
祖母は「絶対に嫌だ」と応じることはありませんでした。
それ程に、話すのも思い出すのも辛い記憶であるのです。
語りべとして活動をされている方達もいらっしゃいますが、語りたくないと思う人も多いのです。
そして、語れる人達の年齢は上がり、知る機会は益々減って行きます。
時々、思い出して頂けるなら、嬉しく思います。
いつかどこかで、もっと大人になった自分が、もう少しきちんとしたものを書けるようになったら、またお話することもあるかもしれません。
私も、辛いお話は好きではないので、今はこれくらいに・・・。苦笑


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季節外れの真夏の西国旅行のお話・・・広島編2
原爆投下前『広島県産業奨励館』であった原爆ドーム。
現在は風化を防ぐために、かなりの補修が入っており、私が子どもの頃とは随分印象が異なっています。

見る度に惨事を思い出す・・・と一時は取り壊しを望む声も多かったそうですが、被爆が原因による急性白血病で亡くなった1人の女子高生が「あの痛々しい産業奨励館だけが、いつまでも、おそるべき原爆のことを後世に訴えかけてくれるだろう」と記した日記を契機に保存を求める運動が始まり、1966年、広島市議会により永久保存することが決定され、今日に至ります。(一部Wikipedia参照)

1995年には、ユネスコの世界遺産に登録され“二度と同じような悲劇が起こらないように”との戒めや願いをこめて、アウシュヴィッツ収容所などと共に『負の世界遺産』とも呼ばれています。
平和記念公園のほぼ中央にある『原爆死没者慰霊碑』。

慰霊碑の中には、国内外を問わず、原爆で亡くなられた方の名前を記した名簿が納められています。
碑文には『安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから』の言葉。
慰霊碑の間からは、原爆ドームを背景にして燃える『平和の灯(ともしび』が見えます。
核兵器が地球上から姿を消す日まで・・・の願いを込めて、今日も、この火は燃え続けているのです。
この他にも平和記念公園の中には、たくさんの慰霊碑やモニュメントが見られます。
原爆のお話は、とてもシリアスなお話です。
正直なところ、我がブログで扱うには難しすぎます。
伝えなくてはならないことや、知っておかなくてはならないこと・・・たくさんたくさんありますが、残念ながら私自身勉強不足な上に、伝えられる程の技量もありません。
東京に出てすぐの頃、知り合った女の子が、8月6日の慰霊祭のことを「原爆祭」と表現するのを聞いて度肝を抜かれたことがございました。
広島で私が受けてきた『平和教育』が全国区のものではなかったことに気づいて、はっとさせられた瞬間でした。
大きなカルチャーショックでもありましたし、心の痛い出来事でした。
知る機会を与えられないというのは、とても残念なことのように思います。
しかし、私とて実際に被爆体験があるわけではありません。
私自身が伝えられたことを、次の人に伝える努力というものをするべきなのかもしれないと、最近になって少し思います。(年のせいかもしれません。)
若い頃は、広島出身であると言うと必ずカタカナの『ヒロシマ』をイメージされることに、重荷を感じる局面もありましたが、徐々に肩の力も抜けて来ているように思います。(年のせいですね・・・。確信)
しかし、このブログが、そんなお話をする場所として適切なのか?
うにさと少し話し合いました。
思いがけない場所で目にする記事であるからこそ、気持ちのどこかに残ることがあるかもしれないというのが、私たちの出した結論。
長々とはやりません。
そして、今の私が書こうとすると、かなり大掛かりなことになってしまいそうなので、昔の自分に手伝ってもらうことにしました。
広島の空を見ると、いつも「手が届きそうなくらいに低いなぁ」と思います。

この低い空の下で65年前に起きた出来事について、明日の1報は、私が中学生の時に書いた文章を掲載いたします。
稚拙な文章の割りには、厳しい内容になるかと思いますが、最後までお読み頂ければ幸いです。

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季節外れの真夏の西国旅行のお話・・・広島編1
ここまで移動移動の旅でしたので、この日は小休止。
午前中はゆっくりと私の実家で過し、昼前に広島市内へとバスに揺られてコトコト出掛けました。

私もうにさの実家には何度と無くお世話になっておりますが、うにさが広島を訪ねるのもこれで4度目。
その度にレンタカーを借りては、ある時は宮島、ある時は尾道、ある時は山口の秋吉台、ある時は島根県の津和野、ある時は出雲・・・と、周辺を遊び歩いて参りました。
そんな中、うにさが避けて来た場所が広島の原爆資料館。
数年前に『夕凪の街桜の国』を読んだうにさ。
怖くて怖くて仕方がないけれど、次回広島を訪ねた際には、原爆資料館(正式には広島平和記念資料館)に行きたいと申しておりましたので、この日は真摯な気持ちでお出掛けいたしました。
・・・とはいえ、かなり腰が引けている様子のうにさ、先に少し楽しいお食事でもいたしましょうかね。苦笑
向かった先は、広島アンデルセン。
全国展開するアンデルセンの総本店です。
以前に、うにさの別パラサイトの方で話題に上がっておりましたが、うにさにとっては未体験ゾーン。
詳しくは、うにさの別パラサイト『サンライズの国』『アンデルセン王国』『広島アンデルセン』をご覧下さい。
こちらが、正真正銘アンデルセンのサンライズ。

メロンパンではございません。笑
1階のベーカリーマーケットを歩き、その規模に目を丸くするうにさ。
あら、最近はジャン=ポール・エヴァンのショップも入っているのですね。これには私もびっくり。(やるな~アンデルセン!)
2階のアンデルセンキッチンに移動してお食事を頂きましたが、残念ながら、店内撮影禁止のため、フードコートもお料理も写真がありません。
たまには、うにさに丸投げしてみましょう。(笑)
さあ、感激を絵でお伝えしたまえ!

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季節外れの真夏の西国旅行のお話・・・四国編27
お茶友のヨーコさんから「タルトを買うなら六時屋さん」「地酒を買うなら雪雀」と教えて頂いておりましたので、実家にタルトと我家にカステラ、

父ひろしに雪雀を求め、広島へと向かう準備は万端。(ヨーコさんは愛媛出身の方なのです♪地元情報、ありがとうございました。)

六時屋さんのキャッチフレーズに感心しておりましたところ、港の大型モニターをふと見れば、奇妙なキャラクターが・・・。

どう見ても、タルト・・・ですよね。

調べてみたところ、その名もずばり『タルト』。
伊予弁で話す、世界征服を目的とした宇宙人らしいです。(ん?生八橋星人のライバル??)
さあ、四国とももうお別れです。

広島(宇品)行きの高速船『スーパージェット』へ。
呉を経由するかどうかにもよりますが、松山から広島まではおよそ1時間~1時間半。
お値段はやや掛かりますが、フェリーの半分くらいの時間で到着出来ます。
船内には小さな売店などもあり、なんだか楽しい気分♪
昼間なら、ちょっとした瀬戸内観光気分で乗れるのでしょうが、残念ながら夜は真っ暗で景色は全く見えませんでした。苦笑
それでも、少しはなれたところに、常に陸の光が見えているところは、小さな瀬戸内の海らしいなぁと思いました。
21時前、広島到着。(本州上陸)
うにさが路面電車に乗ってみたいと言うので、久しぶりに路面電車に乗り、広島駅まで。
軽くうどんをかき込んで、我実家へと向かったのでありました。
朝には足摺岬に立っていたのが、嘘みたい。笑

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