みささんのアルバム4

昨日に引き続き、みささんのアルバムのお話です。
写真向かって右がみささん。左は同い年の従姉妹の『志ん子』さんです。
おふたりは大の仲良し。
尋常小学校から女学校、佐保女学院に至る間をほぼ共に歩まれました。
アルバムの中にはご一緒のお写真がたくさんあります。


なんだか、とても睦まじいですねぇ。
本は撮影用かもしれませんが、その演出がまたなにやら昔の女学生らしい・・・。
志ん子さんから、みささんに宛てられた寄書きを読んでみましょう。

みいちゃん
早や一年の年月が流れましたネ
夢の様な一年、ほんとうに楽しかったワネ
非常時寄宿舎、非常時女学院
時には思ひ出しては、話しませうネ
又一所に友を迎へませうネ
時々会う日を楽しみに
志ん子
さてさて、志ん子さんのこの文章、変体仮名としてはそれほど読みにくくはありません。
ただ、よく理解出来ない部分が・・・。
そうです『非常時寄宿舎 非常時女学院』??
その疑問にお答え下さったのは、前述のやよいさんです。
なんと、この『非常時』というのは、まさにその時代を映し出したような言葉でした。
計算してみると、この寄書きは1935年(昭和10年)前後のものです。
1931年(昭和6年)の満州事変以降、1941年(昭和16年)の太平洋戦争勃発に向けて、日本は急速な軍国主義への道を辿ります。
そんな中で、1934年(昭和9年)頃から『非常時』という言葉が頻繁に使われるようになって行ったのだそうです。
「非常時である」という言葉をもって、様々なことが自粛ムードへと追い込まれました。
かわいらしい女学生の文章の中にも、こういう言葉が入り込んでいた時代なのですね。

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