友人ロミちゃんについて3

写真は、ロミちゃんがキモノの奈落に落ちる前の貴重な写真No.2。右からロミちゃん・ひよさ・chinatsuちゃん。(chinatsuちゃんも、近いうちにブログに登場予定!)だから・・・似合ってたのよ、以前から!(笑)
さて、話は戻ります。
今更ですが、私は着付けを習ったことがありません。2次会とはいえ、結婚式への出席となると、腰が引けます。そこで、あいこさん(ロミちゃんのお母様)に着付けをお願いするべく、着たいと思っているキモノを持参して、ロミちゃんの実家を訪ねることとなりました。ご相談のついでに、あいこさんが処分されようとしているキモノも見せて頂くことに。
あいこさんは、気風がよいというか、竹を割ったようなというか、てきぱきした、とても気持ちのよいお方です。(頼りになるヮ~)
あいこさんのお家には、キモノ部屋があり、まー、この日の楽しかったこと。前述のロミちゃんの発言「引き合わせたら・・・」なんてどこへやら。足の踏み場もない程キモノを広げて、3人で(うにさは欠席していたので、あいこさんとロミちゃんと私)アレをはおり、コレをはおり・・・。
結局、申し訳なくも処分されるキモノは全て頂くことに。(本当にありがとうございます)
すっかりキモノの魅力に取り付かれたロミちゃん。そこからは爆進です。友人の結婚式に出る頃には、一人前のキモノ道楽の出来上がり!(ふっふ・・・)
年明けには、あいこさんと同じ着付け教室に通い始め、そしてその年の暮には、お免状をGet!2007年11月には、更にお免状のランクアップ!今ではすっかり私の方が教えてもらう立場です。
いや~、常々思っていましたが、ロミちゃん!あなたの学習意欲には、感服いたします。

写真右は着付けを習い始めた頃のロミちゃん。着ているキモノは「羽田」と呼ばれているキモノ。キモノの種類じゃありません。通り名です。理由は、あいこさんが、羽田に行く時に着ていったことがあるから・・・。通り名とはそうしたものです。(笑)
私(左)が、着ているキモノは、あいこさんに頂いたキモノのひとつで、江戸小紋のきりばめです。
ちなみに、ロミちゃんと私とうにさの身長差は、丁度10cmづつ。「これで体重が同じだったら、体積としては3人は等しいのだろうか?」という私の思いつきの発言が、うにさの不興をかったことは、言うまでもありません。
長く私のキモノ道楽は、人には秘密にしていたので(だって・・・何となく恥ずかしかったんですよ・・・)、結婚式に出席することでもなければ、知人友人の前でキモノを着るようなことはありませんでした。精々着ても、浴衣程度です。では、いつ着ていたかと申しますと・・・家の中です。まぁ、近所のスーパーに買物に行くくらいのことはありましたけど・・・。(笑わない!)それが、うにさとルームシェア(なんてカッコイイものじゃないです。単なる同居です同居)するようになってから、まぁ、隠しおおせるはずもなく、一人に知られてしまえばもう秘密ではなくなりますから、何とな~く、他の人にも「キモノ好きなんだ・・・」くらいは言うようになっていったのだと思います。(コレでも結構シャイなんですヨ)
そんな日陰の、地味~な私のキモノライフを、明るい光の下に連れ出してくれたのは、間違いなくロミちゃんです。連れが出来るとキモノライフは、格段に広がりを見せます。
ありがとうロミちゃん!これからもよろしく!
しかし、何よりも、間近でキモノに嵌まっていく人の姿を堪能出来て、大変おもしろうございました。
進めロミちゃん!

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友人ロミちゃんについて2

突然の話で少々当惑しましたが、聞けばこういうことのようです。
ロミちゃんのお婆様や大叔母さまは「大」の付くほどのキモノ道楽。亡くなられた際に、大量のキモノが残されました。特にお婆様は「キモノは財産である」という年代の方でしたから、孫子に引き継げるものとして、残されていたらしいのです。さて、よくある話ではありますが、実際に残された側の子や孫にとってみれば、残念ながら日常的に着ることの出来ないキモノは、どう扱ってよいか戸惑う代物です。場合によっては、それに全く価値を見出せない方もいらっしゃるでしょう。
ひとまず、コレは!と思ったものだけを、形見分けとして分配したものの、着付けが出来ません。(私の母なども、着付けが出来ない人のひとりです。)せっかくだからと、ロミちゃんのお母様(あいこさん)は数年前から着付けを習い始められることに。それでも「これは着ない」と思うものがあって、それらのキモノの処分に困られているとのことでした。
あいこさんの娘であるロミちゃんはと言いますと、長い!じゃなくて、スレンダーで背が高く、プロポーションは抜群!しかし、その体型のために、ハナから自分はキモノに不向きと思っていたため、興味はゼロ。形見分けの時も、女系の親族がキモノに向かっている最中に、ひとりカレーを作っていたというのですから、その無関心振りも筋金入りです。私に声を掛けてくれた時も「引き合わせだけするから、後は母とふたりで勝手にやって・・・」という、全く気のない有様だったのです。(う~ん、懐かしいね~この発言!笑)
丁度その年の暮(2005年12月)に、友人の結婚式があり、私とうにさは2次会の受付を頼まれました。ロミちゃんも出席の予定で、何を着て行くかを相談し始めた頃だったのです。受付係りに、ロミちゃんも引っ張り込んで、3人でキモノで出席することに。
そうと決まったら、話は違います。ロミちゃんはやる時はやる女なのです!
写真は、キモノの奈落に落ちる前のロミちゃんの貴重な振袖姿!素養はあったんですよ。我目に狂いなし!笑

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友人ロミちゃんについて1

2005年の冬、私は人がキモノに落ちていくのを目撃した。
それはある日突然やって来た天恵のようなものであり、且つ災難のようなものでもあった。彼女の心を鷲掴みにしたキモノは、猛烈な勢いで彼女を攻撃し、彼女も受けて立った。その彼女とは・・・ロミちゃん!あなたのことです(笑)
ロミちゃんは、私の友人の中でも、かなり愉快な女です。嫁にするなら「ロミちゃん!」(既に人妻ですが・・・)というのが、私とうにさの間での決まり文句になっている程の愉快っぷりなのですが、3年前の秋のこと、そんなロミちゃんからひとつの申し出を受けました。「実家に処分をしようとしているキモノがあるんだけど、一度見に来ない?」何ですと?

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竹林広美さんの展覧会へのご案内

写真は、お知り合いのデザイナーさんからの頂きものです。
展覧会のご案内を頂いたので、みなさんにもご紹介したいと思います。
竹林広美
『「もったいない」ーアンティーク着物と百徳小物展』
世の中に一着限りのアンティーク着物は、10円玉の大きさの古布でも捨てられない。
もったいないの百徳小物、世の中1点限りのもったいないものです。
埼玉伝統工芸会館 2月19日(火)~3月2日(日)
http://saitamacraft.com/
竹林広美さんは、東京コレクションなどにも出品されている洋服のデザイナーさんです。HPをお持ちですので、詳しくはそちらをご覧下さい。
『大和服』
http://www.hiromitakebayashi.com/
以下は竹林さんからのコメントです。
『今回のテーマは、「もったいない」ーアンティーク着物と百徳小物展ーです。
皆様も感じているかもしれませんが、近年の着物ブームで 色柄の美しいアンティーク着物が、手に入りににくくなってまいりました。私は保存の意味でも外に出さずにコレクションをしておりますが、その一部を今回は展示しております。そして、着物の裏地を絞り染めしたスカーフ、友禅で作った美しい着物ドレス、百徳の小物など、盛りだくさんの展示になりましたが、春の小川町に是非お越しください。』
洋服というと、キモノと真逆に位置するかのように感じられるかもしれませんが、竹林さんは、古いキモノ地から洋服をデザインするお仕事をされています。リメイク?と思われる方もいらっしゃるかと思いますが、竹林さんのお仕事は、リメイクというよりは、キモノであってキモノでなくて、やっぱりキモノ・・・という感じのユニークなお仕事です。(つたない表現で済みません。)ご自身もキモノを着られる方なので、基本的にはキモノとして着られるものには、鋏は入れられません。竹林さんはどんなに小さな端布であっても大切に扱われます。小さな布も、いろいろに組合わされて、竹林さんの手で、新しい道を辿ります。
今回はそれに加えて、ご自身のキモノコレクションも展示もされているとあれば、俄然興味が湧きます。
実は、竹林さんとは、私がある捜しものをしていた時に出会いました。
それは、また別のお話として、あらためて・・・ふっふ・・・。
展覧会には私も足を運ぶつもりでいますが、まずは一足先にご案内です。

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夏へ向けてのお手入れ4

写真は、ポリエステルのキモノ地です。
雨コート地で気に入ったものがないので、この反物に撥水加工か防水加工をお願いする予定。
事前に京都の悉皆屋さんにお訊ねしたところ、仕立て後の加工は、糸にも加工が出来るのがよい点だそうですが、反物への加工の方がお安いとのこと。また、仕立てたものに加工すると、まれに仕立てに狂いが生じることがあるそうなので、反物の状態でお願いすることにしました。いろいろ勉強になります。(そういえば、防水加工してある縫い糸ってあるのでしょうかね?それで縫えばバッチリなのか?)
撥水加工と防水加工については、どちらを選ぶか未だ悩み中・・・。
大雨の中、キモノで出掛けるほどの根性は持ち合わせていないので、撥水加工でも十分かなぁ?とも思いますが、水が滲みて来るようでは意味がないですし・・・やはり防水にする方が無難かなぁ?でも防水加工は通気性が悪くて梅雨時期には暑いという話しもあり・・・悩ましいところです。悶々・・・。
その他、もくろみのあるもの数点まとめて、京都へ行ってらっしーゃい。
私も行きたいよ~・・・。

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夏へ向けてのお手入れ3

この写真・・・解ります?
去年の夏、お尻が抜けてしまったキモノです。(お恥ずかしい・・・)
無惨にも、やってしまったんですよ・・・涙。着付けている時からプチプチと不穏な音はしていたのですが、もしや?と思って座ってみたら、みごとにお尻が抜けました。出かける時間は迫るし、なんとかならないかと、うにさに両面テープで貼ってもらったりもしたのですが、そんな悪足掻きが功を制するはずもなく、被害は広がるばかり(残念ながら、うにさは縫いものが出来ません)。あきらめて超特急で別のキモノに着替えましたが、いや~焦りました。古着の怖いところです。家を出る前で本当によかった。気づかずに外出していたら、お尻までスリットの入ったスカートみたいになっていたかもしれません。(考えただけでもおぞましい・・・)
しかし、縫い糸の問題なので、洗張りして仕立て直せば着られるのですから、キモノはエライです。今年の夏までには再びキモノの形になって、お天道様の下を歩けるようになっていることでしょう。
ところで、私の祖母は、糸が古くなって駄目になることを「糸が風邪をひく」と申します。
いいですか、みなさん、糸は風邪をひくのです!!ご用心!

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夏へ向けてのお手入れ2

昭和50年(1975年)5月10日発行『第9回世界石油会議』記念切手。
ひととおり手を入れたいものをまとめて、久しぶりに京都の悉皆屋さんのHPにアクセスしたところ、恐れていたことが起きていました。一部お手入れ代金の値上げです。原油の値上がりで、街のクリーニング屋さんが悲鳴をあげているというニュースは耳にしていましたし、ほどなくキモノのお手入れにも影響があるだろうと、覚悟はしていましたが、やはりショック。懐には厳しいですが、止むを得ない値上げなのだと思います。宝塚の着物屋さんの若旦那さんのブログ「きもの屋のあれ?」にも上がっているように、職人さん達は、さぞかし大変な思いをされているのだろうと、心配になります。値上げは辛いけど、伝統的な技術が消えてしまうのはもっと辛い!!頑張って下さい職人さん!!
こういう時にこそ、サイエンス方面の方達にもお知恵を絞っていただいて、新しい技術開発などあるとよいのにと願う私です。

サイエンスと言えば・・・今日の朝日新聞朝刊に面白い記事が載っていたのでご紹介。
『笑い測定機開発、大爆笑4秒で20「アッハ」関西大』
笑いの度合いを数値化し、アッハ(aH)という単位で表す「笑い測定機」を関西大の木村洋二教授(コミュニケーション論)と大学院修士課程2年の降旗(ふりはた)真司さんの研究チームが開発した。笑いは健康にいいといわれるが、それを科学的に検証するために役立てたいという。
ほお、横隔膜、腹筋の周辺の皮膚にセンサーを張り付け、1秒に3千回の頻度で、筋肉を動かすときに発生する微弱な電気(筋電位)を測定する。これをパソコンに取り込み、独自開発の専用ソフトで解析し、笑いの程度を判定する。心から笑っていない人を見破ることもできるという。木村教授によると、大爆笑は1秒あたり5アッハほどで、これが4秒続くと20アッハになる。
07年に測定機の原理に関する特許を出願した。開発費は約600万円。23日午後、大阪府吹田市の同大で公開実験をする。
asahi.com 2008年02月16日09時50分より
http://www.asahi.com/science/update/0215/OSK200802150063.html
ちなみに、我家では、笑いの単位は『ゲラゲラ』である。
最高が『ゲラゲラ』、順に『ゲラゲ』、『ゲラ』、『ゲ』と度数が下がる4段階方式。
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夏へ向けてのお手入れ1

夏に向けての準備なんて言うと、「何を季節外れなことを・・・」と言われてしまいそうですが、着物の手入れは、結構時間が掛かるのです。かなり前倒しでやっておかなくては、着たい季節に間に合わない。ちなみに私の場合は前倒しというよりは、秋口に済ませるべきことをダラダラと先送りにしていたので「何を今ごろ」が正しい。(開き直ってどうする・・・)ともかく、そろそろ放置していたものを悉皆屋さんに出すべく、重い腰を上げたのでした。(どっこいしょっと・・・)
ここのところお世話になっているのは京都の悉皆屋さん。
ネットで注文が出来て、引き取りに来てもらえるのがありがたい。一定の値段以上からは、送料も半額になったり、無料になったりするので、お願いする時はまとめた方がお得です。メールへの対応も素早く、懇切丁寧に相談に乗って頂けます。丸洗いだけならもっとお安くやっていただける『奥津洗濯教室』さん(こちらも京都ですが・・・)もあるけれど、奥津さんも近年値上がりされたようですし、洗い張りやカケツギまではお願い出来ないので、最近は専ら、その京都の悉皆屋さんを頼ることが多くなっています。
実は家から1分のところに悉皆屋さんがあるのですが、お値段が高いのと、お客が入っているのを見たことがないので恐ろしくて入れません。商売になっているのだろうかと心配になりますが、店員さんが店先にいるのも見たことがないので、益々恐ろしい・・・。本当は顔を合わせてアレコレ相談出来る方がいろいろお話も聞けて面白そうなのですが、残念ですわ・・・。
ちなみに、奥津さんのところへ送る時の注意事項
・水に濡れないように、ビニール袋(ゴミ袋などでよい)にキモノを入れてから梱包すること。(これは奥津さんから)
・送った時と同じ梱包で戻って来るので、戻って来た時に嬉しい状態で送ること。小さく畳んで送れば、送料は安く済みますが、同じように畳まれて戻って来るので、せっかく洗ってもらったのに、シワが出来ます。たとう紙に入れて、大きめの箱に入れて行き来させるのがベストかな。(これは私の経験から)
奥津洗濯教室(奥津 徹)
adress:京都市伏見区醍醐御陵西裏町29-10
tel:075-571-4356
fax:075-571-4450
*わけ合って、京都の悉皆屋さんについては情報を消去させて頂きました。

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文楽へ行こう!5

昭和41年(1966年)発行『国立劇場開場記念』切手の1枚。人形は八重垣姫。
500円で買ったウールのキモノには、持って帰ってみたら袖に小さな穴がありました。安いウールのキモノにカケツギしてお金を掛けるのもバカバカしいので、自分で蝙蝠の刺繍を施しました。

うむ!修復完了!あ・・・あんまり近くに寄って見ない見ない!!自分で着る分ですから、適当です。汗

狸は・・・以前に高幡不動尊の『ござれ市』(毎月第3日曜日開催)で、露店の軒に吊るされていたところを、目が合いまして・・・おじさんが値段を言い間違えて「言った以上は仕方がない。」と¥1500で私のところへやって来ました。(ラッキー!)実は、既に「おしっぽちゃん」と私に呼ばれている狸が家にはいたのですが、ある日、しっぽにブラシをかけたところ、寄せ集めの毛で増毛してあったらしく、無残にも抜け落ちてしまったのです。そんなこんなの、ありがたい2代目さんです。でも、この狸、手足まで付いているので、苦手な方もいらっしゃるかもしれません。(苦笑)
左が『初代おしっぽちゃん』。右が『二代目おしっぽちゃん』


小学校の中学年くらいまでは、キツネ襟巻き(と呼んでいただけで、実際にキツネであったためしはないと思います)とエナメルの靴だけは、代替わりで買ってもらっていた記憶があります。多分、母の趣味だったのでしょう。

これが子ども頃に最後に買ってもらった、テンの襟巻き。壊れたままになっているので、そのうち直してやらなくては・・・。こういうものの修理の仕方をご存知の方がいらしたら、お教え頂きたい・・・。抜けた狸のしっぽを取り戻す方法も・・・。
次に劇場に行く時は、もうちょっとお洒落して行くぞ!っと思いつつ、結構、気楽でよかったかも・・・とも思う私です。
次回、国立劇場の文楽公演は、5月です。
http://www.ntj.jac.go.jp/performance/1873.html
行けるかな??

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文楽へ行こう!4

『河連法眼館(かわつらほうげんやかた)の段』
河連法眼館に身を寄せる義経。不自由な隠遁生活といいながら、バサラ大名みたいな派手派手の衣装です。そこへ本物の忠信が訪ねて来るからさぁ大変。静のことなんて知らないし、名前も貰った覚えはないと言います。おのれ、静を平家に渡して俺を打ちに来たのか!と怒る義経。そこへ静と忠信が到着したとの知らせが・・・。館に入って来たのは静のみ、静も静で、既に館に入っている忠信を見て「ひどいは、私より先に義経さんに会うなんて!」と言いながら、ことの次第を義経から聞かされると「そういえば、忠信の着ているものはさっきまでとは違うみたいねぇ・・・」。さては私に考えがあると、ひとりになって静が鼓を叩いてみたところ、初音の鼓の音につられて狐の忠信登場。それまで結構世話になってたクセに、鼓の音に乗せられて踊る忠信に切ってかかる静。「なにをなさる!」という忠信に「あーちょっと、義経さんに刀の舞を見せようと思ってね、練習練習」。懲りずにもう一回。(静さん、結構ひどいです)流石の忠信もただごとではないと解って、自分は鼓にされた狐の子で、親恋しさに静に同行していたのだと告白。それを影から聞いていた義経さん(何だかいつもコソコソしてるなぁ)、親を思う狐忠信に褒美として、初音の鼓を与えます。(コレは本当にご褒美だ!)狐の姿に戻った忠信は狂喜乱舞です。最後には天にも昇る気持ちとともに、人形さんは本当に宙に舞って舞台は幕を閉じます。
あ~面白かった。満足満足!
この日は、前日の夕方からの大雪のため、キモノは諦めていたところを、思いのほか雪解けが早く、急遽キモノで出掛けることに。

せっかくの文楽見物でしたが、ごくごく普段着のウールと作り帯の取り合わせです。
ちょっと惜しかったなぁ・・・。

子どもの頃から「出針を使うと縁起が悪い」と祖母に繰り返し言われていたため、当日の半襟付けなどは自分の中ではご法度になっているのです。まぁ、縁起を担ぐと言うよりも、呪縛のようなものですかねぇ(苦笑)。

実は、この日、私が連れていた眷属は、狐だけではありません。蝙蝠と狸も一緒です。ふふふっ・・・。

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文楽へ行こう!3

『道行初音旅(みちゆきはつねのたび)』
義経の言いつけを守りもせずに、「義経さんのところへ行こう!」と大騒ぎの静と忠信。
急いでいると言いながら、ふたりで継信(忠信のお兄さん)の源平合戦の武勇伝を、扇を矢に見立ててアクロバティックに真似っこしたりなんかして唄い踊った挙句の果てに、「さー行こ!行こ!」とこの段は終わります。
この段では、義太夫さんが5人に三味線さんも5人!10人の裃姿の男性が並んだ姿は壮観です。舞台には、紅白の大きな横段の幕が張ってあり、義太夫節と三味線の音に乗って、幕がハラリと落ちて人形登場!
途中、ちょっとしたハプニングがありました。三味線の糸が切れたのです。しかもメインの三味線さんです。三味線にも音楽にも、とんと疎い私ですが、演奏が始まった時から、この人の三味線は、音量といい音の響きといい、連で弾いていても抜けて聞こえて来るので、随分違うものだなぁーと感心していました。それが、ふっと音が変わったような気がして、義太夫さんの方を見てみると、演奏の手を止めて、糸を張られているではないですか!よく聞く話ではありますが、実際に見たのは初めてです。思わず、横にいるうにさを肘で小突いて「三味線の糸が切れた!」と告口する私。(嫌ですね~これだから素人は・・・)三味線さんはてきぱきと糸を張っていきます。調律とかどうするんだろう?糸の感触だけで解るんだろうか?5人の義太夫さんの声と4人の三味線さんの演奏は爆音です。音に紛れて、小さ~く音を出して調律なんてことは出来そうな気がしません。骨伝導とか?っとつまらないことに頭を巡らせながら、舞台は気になるし、三味線さんのことはもっと気になる・・・。そんな私の心配をよそに(あたりまえです)、三味線さんは顔色ひとつ変えずに、あっという間に糸を張り終えて、演奏に加わります。すぐにその三味線さんのソロに入ります。おーーーーー!!間に合った!!すばらしい!!間に合わなかったら、2番手の人が弾いていたのだろうか?とドキドキしながらも胸を撫で下ろしたところ、今度は別の三味線さんの糸が切れます。
いやはや、物語とは別のところで、非常にスペクタクルな公演でした。
しかし!私は見逃しませんでしたよ!ソロが終わったところで、最初に糸が切れた三味線さんが、真っ白な手ぬぐいで、そっと額の汗を拭われたのを!!私も汗が出ました。(笑)
帰宅後、パンフレットを読んで、その三味線さんが重要無形文化財保持者(いわゆる人間国宝)の鶴澤清治さんであることを知って、更に手に汗握った私です。

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文楽へ行こう!2

文楽は浄瑠璃(義太夫節)と三味線と人形とで構成されていますが、それらが織りなす物語は結構強引です。
え?ちょっとちょっと、あんたそれはないんじゃない?それで納得しちゃうの?なんてつっこみ処は満載ですし、実は○○だった!(兄弟だったり、親子だったり、もののけだったり・・・)なんてのは日常茶飯事。今どきの韓流ドラマや、往年の大映テレビのドラマも顔負けです。
そんなわけで、今回の演目も御多分に漏れず、忠信(ただのぶ)と思われていたのは、実は鼓の皮にされた狐の「子ども」だった!となるわけです。世は変われど、こういうものが人は好きなんですね(笑)。
『伏見稲荷の段』
処は伏見稲荷。逃亡中の義経に同行したいとせがむ静。義経は静に大切な初音鼓(はつねのつづみ)を与え、京に残るように命じます。聞かぬ静を、ダメダメと、鼓の調(紐)で木に縛り付け、義経一行はその場を立ち去ります。そこへ追手がやってきて「おお!これは初音の鼓と、義経の女の静じゃないか!」。静、大ピンチ!突如、舞台の上に狐が現れ、忠信の姿に!あれよあれよという間に追手を退治し、静解放!それを鳥居の陰から見ていた義経(え?見てたの!!)が現れ、「いや~、忠信君、ご苦労ご苦労、褒美に僕の鎧と、義経という名をあげるよ!静のことをよろしくね!」と去ってしまうのです。義経、役に立たない上に、自分勝手だなぁ・・・。おたずね者の名前を貰っても、困るよなぁ・・・。と思いながら、この段は終わり、1回目の幕間へ。
1回目の幕間は少し長いので、ここでお食事です。
予約をしておけば、食堂でおでんのセットなども食べられますが、ロビーはお弁当を食べる人達で埋め尽くされます。
うにさは、ローストビーフサンドウィッチ。私は、志乃多寿司のお弁当。


しかし・・・この巾着を縛ってある干瓢の長さと太さには驚かされました。志乃多寿司さん、幕間で食べるにはあまりにも大きすぎます!干瓢だけで、優に口の中がいっぱいです!ポイポイっと食べられるのが理想です。
それにしても幕間は忙しい・・・ご飯も食べたいし、売店も見たいし・・・。



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文楽へ行こう!1

先日、文楽を見に行って来ました。
文楽にもいろいろな楽しみ方があると思いますが、私のような素人には、何と言っても人形です。「アラ、何だかんだ言って操り人形でしょう。」などと言わないで下さい。見ていると、消えるんですよ人が・・・。正直、文楽の舞台の上には人形の数よりはるかに人間の数の方が多いのです。1体の人形につき3人もの人間が付いているのですから、人形が3体いれば、人間は9人です。その上、人形を使わない黒衣の介錯人さん(いわゆる黒子さんですね、首を切る人ではありません。)も何人かいるので、かなりの人間が舞台の上にいることになります。それが見ているうちに目に入らなくなるから不思議です。人形の動きは至極しなやかで、アレは絶対生きている、人形のふりをしている小さい人に違いない・・・という気持ちになるほど。
そして中でもあの左手!!あれはすばらしい!あの左手を常時携帯出来たら、
こんな場面や、

こんな風にも、

こんな時にも使えて、

すぐれたコミュニケーションツールとして活躍するだろうにと思います。
ちなみに、黒衣の形が歌舞伎と違って、イカっぽいのも私の好みです!
今回の演目は『義経千本桜』の中から『伏見稲荷の段』と『道行初音旅(みちゆきはつねのたび)』と『河連法眼館(かわつらほうげんやかた)の段』の三段。義経のお話というよりも、親を思う子狐にスポットをあてた段組になっています。・・・ということで、狐の帯留。眷属を連れて文楽への道行きです。


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みささんのアルバム2

これ、何が書いてあるかお解かりですか?(済みません、汚い文字で・・・汗)
答えは「すたじおくう うにさとひよさ」。読めた方はすばらしい!
アラビア語でも、タイ語でも、スワヒリ語でも、梵字でもありません。立派な日本の仮名文字です。「変体仮名」というのをご存知ですか?(変態ではありません!!)「大和仮名」の名前で聞き覚えのある方もいらっしゃるかもしれませんね。漢字ではありません、仮名文字です。
ところで皆さんは、花札の短冊に書いてある文字。あれを何と読まれているでしょう?「あのよろし」ではないですか?私もそうでした(苦笑)
実は、あれば「あかよろし」と読むのが正解です。「の」に見える文字が変体仮名です。
花札には詳しくない・・・では、うなぎ屋さんの看板で「うふぎ」と見える看板を見たことはないですか?あの「ふ」に見える文字!あれが変体仮名です。
書道をされている方や、年の多いお婆様やお爺様をお持ちの方は、ご存知の方も多いかもしれませんが、使いこなせる方は、かなり少ないのではないでしょうか?私の経験から言うと、祖母(明治42年生)の代は、この変体仮名を使って読み書き出来ますが、母の代(昭和11年生)になると、かろうじて読むことは出来るが、書くことは出来ない。私に至っては、祖母が使っていたせいで、ところどころ想像がつく・・・といった程度です。
以下にWikipediaからの抜粋を載せます。
『明治維新後、1900年の小学校令において同じ音韻にいくつもの文字があった平仮名の整理が行われ、現在のような一音につき一文字を基本とする五十音図が出来上がったが、ここに採用されなかった数多くの平仮名がその後、変体仮名と呼ばれるようになった。戦前までは日記、書簡など日常の筆記で変体仮名はしばしば使用されていた。』
さて、どうしてこんなことをお話するかと申しますと・・・。
前述のみささんのアルバムです。
このアルバムの中に残っているお友達からの寄書き、読んでみたくはないですか?大正や昭和の始めの頃の、お嬢さんのノスタルジックな文章・・・私は読みたいです。(私がか・・・)

(前列向かって右から2番目がみささんです)
ところが、この寄書き、全ての文字ではないのですが、変体仮名が多用されており、その上、皆さん達筆でいらっしゃるので、暗号のようで一朝一夕には読めないのです。
うにさは、早々にリタイアしてしまったのですが、粘り腰の私は、現在暗号解読中。
長く眺めていると、急にキランと読めるようになったりしながら、結構いいところまで来ているのですが、まだいくつか解読できない文字があり、ジリジリしています。そろそろ年長者に頼らないと駄目かも・・・う~む。
解読の暁には、昔のお嬢さんの写真とともに、こちらで紹介したいと思っています。

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みささんのアルバム1

みささんの梅の羽織が出たところで、たまには、みささんご本人に登場して頂きましょう。
なかなかにお美しい!
そして、これが私が拝借した梅の羽織をお召しになっているところです。

1枚目の写真より若い頃のお写真なので、まだ少女らしく少しぽっちゃりされていますね。
みささんは、女学校を卒業された後、現在の『奈良佐保短期大学』の前身である『佐保女学院』に1年間通われていました。現在は共学の大学のようですが、当時は良家のお嬢様が、女学校を卒業後にお裁縫などを学ぶ、全寮制の花嫁修業をする学校だったようです。みささんのアルバムは何冊かあるのですが、その中の1冊は、その佐保女学院時代のものです。まるで卒業アルバムの様に、全員で撮影された写真や、お友達ひとりひとりの写真が貼られています。アルバムの表紙の裏には、お友達からの寄書きがたくさん書いてあります。

そして、この寄書きが、現在私の頭を悩ませているのです。

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綿入れのお話5

『ねんねこ』のことを書きましたが、『ネコ』のことはご存知でしょうか?猫ではありませんし。もちろん、うにさの被りモノの話でもありません。残念ながら、私も『ネコ』の持ち合わせがありません。ネットで適当なリンク先を探しましたが、2chのものが多く、ちと困りました。仕方がないので、絵にしてみます。

こんな感じのものです・・・。背中に綿が入っている背負子状の綿入れです、これが『ネコ』と呼ばれているものです。『ネコ』ですよね?『ネコ』ですか?『ネコ』でいいんですよね?そうですか、やっぱり『ネコ』ですか・・・。
実は、私の実家では『おサル』です・・・。母の実家でも『おサル』です。

確かに、猫よりは猿っぽい気がします。
私の記憶違いかと、母に確認の電話をしたところ、こともなく「え?あれは、おサルよ。ネコじゃない。」とバッサリ・・・涙。しかしここで挫けるわけには行きません。
袖の無い綿入れのことを調べていると、今度は『カメ』の出現です。『亀の子半纏』・・・。

確かに、猫よりも猿よりも亀っぽいかも・・・涙。
ここで、広辞苑登場!!
さるこ【猿子】①綿入れの袖なし羽織。子供などの着るもの。②仮子(かりこ)に同じ。さっこ。
かめのこばんてん【亀の子半纏】子供の綿入れ半纏。左右の袖がなく亀の甲の形に仕立てたもの。
おお!!猿と亀は広辞苑に記述がありました!!涙
では、この猫・猿・亀の違いは・・・?地域差かとも思いましたが、検証した結果こんな感じではないかと・・・。
『ネコ』・・・本来は下着。着物の中に着る綿入れ。背中にのみ綿が入っており、長さはお尻もかくれるくらいに長く、前面は紐だけで背負子状。
『おサル』・・・綿入れの袖ナシ。着物の上から羽織る綿入れ。ほぼ羽織の袖が無い形に等しいので、前にも身頃があり、背中だけでなく前面にも綿が入っている。私が持っている袖ナシはコレ。
『亀の子』・・・本来は、背中におぶった赤ん坊の上に羽織る綿入れ。『ねんねこ』と異なり袖はなく、背中のみ。(まさに甲羅状)。紐が付いているが、赤ん坊の防寒が目的であるため、しっかりと前でバッテン型に交差させて着用する。
ふ~・・・っ。どうでしょう?
元はそれぞれ異なる目的のものだったのでしょうが、「暖かいね~」と着ているうちに、使い方も呼び名も混ざってしまっているのではないでしょうか。
『ネコ』は今では、着物の上に着ることもありますし、『亀の子』は赤ちゃんを負わなくても防寒に用います。『おサル』も微妙に前身頃が細いものがあり、『ネコ』に近い形のものが見られます。
しかし、よりにもよって何で全部生きものなんだ・・・。
写真の切手は、上から順番に、
・平成8年(1996)7月23日発行 ふみの日記念「ねことポスト」山城隆一さんイラスト。
・昭和43年(1968)年賀切手 「のぼりざる」延岡の郷土玩具。
・昭和51年(1976)3月25日発行 自然保護シリーズ 第3集『リュウキュウヤマガメ』

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綿入れのお話3

これはうにさの丹前です。節分の豆まきの時にも着ていましたね。
なんとこの丹前の生地、うにさが生まれた時に贈られたものなのだそうです。
うにさのお父様方の曾お爺様の妹さん(ゆっくり読んで下さい・・・笑)が、嫁がれた先は呉服屋さんでして、「ねんねこでも作りなさい」とお祝いに下さったのだとか。
ねんねこが解らない方もいらっしゃるでしょうね。ねんねことは赤ん坊をおんぶするための小ぶりな掻巻のことです。はーっ、掻巻が解りませんか・・・掻巻は、着物型をした綿の入った寝具です。で、ねんねこは・・・う~ん、時代物のテレビや映画なんかで、赤ん坊をおんぶした女の人が、袖のついた布団みたいなものをしょっているでしょう。アレですアレ!汗
シドロモドロの説明よりも、よいものがありました。
昭和56年(1981年)2月9日発行、日本の歌シリーズ第8集の「子もり唄」の切手。
これが、ねんねこ!!

結局、ねんねこを作ることもなく、反物のまま長く置いてあったのですが、うにさが大学に入ってから丹前に仕立てられました。背中には綿が入っていますが、袖には入っていないので、思いのほか動きやすく、お尻や足まで暖かですが、羽織るとすぐ眠くなるのが難点です。(苦笑)


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綿入れのお話2

この2枚の半纏は、何年か前に、祖母にリクエストして縫ってもらったものです。


黒い方には薄く、紫の方には厚く綿が入っています。いつも手に取れるところに(2台あるPCの椅子の背中に)年間通して掛けてあるので、寒さに応じて羽織ります。


実はこの2枚の半纏、私にとっては少々胸の痛くなる半纏でして・・・。というのも、癇癪を起こして、半纏送りにしてしまった元羽織だからです。(おはずかしい・・・)
子どもの頃から、何故か30歳になったらキモノで生活する!と思っていた私の古着漁りは、10代後半から始まりました。もちろん高校生のお小遣いで買える程度のものですから安くてキモノの形をしていれば、満足出来る程度のことでした。しかし、実際に30歳という年齢を迎えてみると、現実は侭ならい・・・枚数だけ増えてかさばるキモノがニクニクしく、かなりの枚数を実家に送り、この2枚を半纏にすることを頼んで、その他のものは「好きにしていい」と言ってしまったのです。結果、祖母の手により、親戚中に半纏が出回りました。癇癪ですから、後悔したのも早かったのですが、困ったことに祖母の手は、私の後悔なんかよりずっと早いのです。セーターだって、一晩で編んでしまうような人ですから、元が古着と思えば、さっさと仕事のように片づけてしまいます。半纏なんぞはお茶のこさいさい。預けた相手が悪かった・・・。いいえ、私が未熟であっただけでございます。捨てなかっただけ、まだましと、自分をなぐさめるよりほかありませぬ。
あ・・・でも、付いてる羽裏もかわいいんですよ・・・。象さん・・・涙。


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羽織紐の修復・ちょっと詳しく

悪友ロミちゃん(正しくは、私の方が悪い友人です)から、羽織紐の修繕について、もう少し詳しく聞きたいとの声があったので、こちらでお答えしてみます。
その前に・・・これまでロミちゃんがここに登場していないのは奇跡的なことです!(正確には『いざ鎌倉へ1』の写真やイラストで登場しているのですが・・・)ロミちゃんは、今や私の一番のキモノの友です。キモノ着たさに会う約束を取り付け、あっちへフラフラ、こっちでブラブラ。私は内心、いつかロミちゃんの旦那様に「ひよさとはもう付き合うな!」と絶縁状を出されるのではないかと冷や冷やしています。旦那さま、今後ともよろしくお願いいたします。ロミちゃんのことは、また詳しく書くとして(ふふっ・・・)、本題へ。
カニカンの根本に付けているパーツは、羽織紐のタイプによって選びます。

平らな紐なら、ワニの口のような『リボン留めorヒモ留』と呼ばれる金具。

紐を挟んでラジオペンチのようなもので締めれば出来上がり。
丸い紐なら『カツラ』という金具。

接着剤を入れて紐を中に押し込むだけでOK。紐の先がバラけていて入りにくい時は、紐の方にも接着剤を少しつけてまとめて、少し乾いた頃に入れるとよいでしょう。
よく珊瑚や石の羽織紐などにカニカンではなくS管が付いていますが、羽織への取り外しは簡単でよいのですが、文字通りS字で閉じていないのため、時折、家出をしたり蒸発したりするので、私は操の堅いカニカンの方が好みです。
カニカンと上記のパーツを繋ぐ『丸カン』のこともお忘れなく!

おさらいすると、こんな感じでパーツが並びます。

これらのパーツは、手芸屋さんのアクセサリーパーツ売場(もしくは、ビーズのパーツ売場)で簡単に手に入ります。ただし、サイズがいろいろあるので、直したい紐をお店に持って行く方が賢明でしょう。
・・・こんなで、よござんすか?ロミちゃん。笑

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節分終了(やっと・・・)

写真は滋賀に旅行に行った時に購入した、大津絵「おにのさんざい」。あやかりたい!
ちょっとした歳時記ネタのつもりが、節分の話しから抜けられなくなってしまいました。涙
近所のスーパーで買い物をしていたら、節分商品の売り場から「ごもっとも~」の声が!
慌てて走りより、テープが一巡するまで待つこと3分。
それによると、節分の「ごもっとも、ごもっとも」は、長野から関西エリアの習慣なのだとか。案外ポピュラーなものなのでしょうかね?
しかし、三重県出身のうにさも、広島県出身の私にも(JUST関西ではありませんが・・・)、そんな習慣はありません。私の祖母は、若い頃に大阪の天王寺で暮らしていましたが、やはりそんなことはしていませんでした。むむむむむ・・・。
ちなみに、恵方巻も関西地区と言われていますが、私もうにさも、近年まで知りませんでした。一部地域にあった習慣なのだとは思いますが、バレンタインデーと同じく、あれは寿司屋の陰謀に違いないと疑う私です。と言いつつ、今年も太巻きを食べましたよ。寿司屋の陰謀になら、負けてもいいか。寿司袋は別にありますから。あ~別腹別腹~。

随分脱線しましたが、節分の日のおキモノ。
本日はお家キモノなので、ウールです。写真では解りにくいですが、ちょっとキラキラが入ったかわいらしいおキモノです。帯はともこさん(うにさのお母様)のもの。そして、かわいい梅の羽織は、みささん(うにさのお婆様)のものです。(しかし・・・大きな手だなぁ・・・)

実は随分痛んでいて、たくさん補修の跡が見られます。


とってもお好きな羽織であったらしく、直しては修繕をし、直しては修繕をして、長くお召しになられていたようです。



ん?お面?やっぱりダメですか・・・。天狗です・・・家に鬼のお面がなかったのですよ。はい、鬼はなくとも天狗のお面はあるのです。うにさからは止められたんですけどね(苦笑)。こちらのお面はは島根の張子の神楽面。来年までには、鬼の面も探してみますかね・・・。うにさの綿入れ姿も、載せちゃおう・・・フフッ。

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今日は節分

写真は、平安神宮の節分の護符。
ネットで「節分」「ごもっとも」で検索してみたところ、秩父の三峯神社というところで節分に『ごもっとも神事』というのがあることを発見!
五穀豊穣・大漁満足・夫婦円満・開運長寿・そして特に子授けにご利益があるのだとか・・・。
詳しくはこちらを↓
三峯神社
http://www.mitsuminejinja.or.jp/saiten/index.htm
友人のお婆様は、秩父と関係のあるご出身だったのかしら・・・?
尋ねてみたところ、お婆様ではなく、お婆様が結婚されたお相手が、秩父のご出身でした。ごもっとも様による良縁??(笑)
もしかすると、昔はいろんな地域であった行事なのかもしれませんね。
ちなみに、お飾りを飾る期間は、小正月が終わって(1月15日)から、立春(2月4日)までの間が正式なのだとか・・・聞かなかったことにします。
理由は、あのお飾りが気に入っているから。

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もうすぐ節分2

写真は昭和49年(1974年)発行の切手。滝平二郎さんの切り絵で、昔話の一寸法師シリーズの1枚です。は~、ご指摘ごもっとも!節分じゃなくて一寸法師です。でも鬼です(笑)。
最近、岐阜県関市を田舎に持つ友人から聞いた、節分に関するお話をおひとつ。
86歳のお婆さんの昔語りによると、節分の夜、一家の家長であるお父さんは「鬼は外。福は内」と言いながら、ひと部屋ひと部屋に豆を蒔いて、家中を回ります・・・まぁ、ここまでは普通です。
問題はここから先・・・「鬼は外。福は内。」と叫んで歩くお父さんの後を、こども達は「ごもっとも!ごもっとも!」と言いながら付いて歩くのだそうです。
どうして?こども達は、お父さんと同じように「鬼は外。福は内。」と言わない?まるで合いの手だ。一家の家長の、年に一度の晴れ舞台?
「ごもっとも」と相づちをうつ姿には、年長者への従順な姿勢がうかがえもしますが、同時に「以下省略」的なニュアンスも含まれていて、ほんのちょっと肩から力の抜ける感じが、じんわりと面白味のあるお話です。何とも、よい加減、いいかげん。
友人のお婆さまは、7人兄弟姉妹だそうなので、さぞかし賑やかなことであったでしょう。しかしこの風習、関市独特のものであったのか、そのお家だけの習慣であったのかは、謎のままなのだとか・・・。
今年からは、是非ともわが家に導入したいと思います。そういうことだから、うにさ、よろしく!これを読まれた方も、よろしければ、ご一緒に(笑)。

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もうすぐ節分1

私と、うにさの間では、節分のお飾りは『鰯フラワー』と呼ばれている(柊と豆殻に鰯の頭を串刺しにしたもの)。あれは何日間くらい飾るのが正しいのか・・・?私たちは、翌年の節分までの1年間、玄関のドアの横に飾りっぱなしにしている。鰯の頭はだんだんとミイラのように変貌し、運が悪いと梅雨時期にカビまで生える。日増しに厄除け効果のありそうな風格が付き、1年経って、かなり恐ろしい見かけになったところで交換だ!私はこれが結構気に入っている。宅急便の配達の人には、もしかしたら気味の悪い家かもしれない。(宅急便屋さんごめんなさい・・・)
ところで、節分には年の数だけ豆を食べると言いますが、子どもの頃は、年の多い人を羨ましく感じていましたが、最近は、食べる豆の数が増え過ぎて、結構辛いです。(豆はお腹が張ります)去年は、うにさとふたりで分けたら、用意した豆が「こんなはずでは・・・」っと思うほど減り、蒔く豆は残りわずか・・・我年齢を思い知らされました。(今年は余分に買ったから大丈夫!)
さてこの節分の行事、私の実家では、さしたる変わった習慣もありませんが、うにさの実家では、ちょっと違うようです。
まず、自分の数え歳の数を食べ、更にそれよりひとつ少ない数の豆を用意して、それを懐紙に包んで、夜中に近くの辻まで出掛け、そっと置いて来るのだそうです。前の歳の厄を捨てて来るという習慣らしいです。
ですが、この話しを聞いて、私は、その辻にあるお宅のことが心配になりました。翌朝目覚めたら、近所中の豆が山積みになっているのでは?町内のもめごとになったりしないのだろうか・・・。懐紙に包まなければ、鳥が食べてくれそうなものですが、豆のその後が不安です。

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