伊勢木綿-臼井織布の巻3

実は、今回の伊勢木綿、うにさのお婆さま『としこさん』が昨年の12月に亡くなられて、その香典返しとして、ともこさんが私に用意して下さったものなのです。「どうせなら、好きなものを選びにいらっしゃい」とのお言葉に、のこのこ三重まで出向いた私ですが、結局1反には決められず、もう1反、自分で購入してしまいました。(まぁ、そんなことになるだろうと、予測はしていましたが・・・。)
巻き添えに、あったのは、ちこさんです。私達に付き合わされたばかりに、うにさと私に座布団をプレゼントをするはめに(写真のお座布団)・・・本当に申し訳ない限りです。
途中で、お店で長年に渡って使われている座布団を見せていただいたのですが、その肌触りは、今でも忘れられません。クタクタになった柔らかさは格別で、頬ずりしたくなるほど。しかも、本藍染めの伊勢木綿から作られたその座布団は、使い込まれることで薄っすらと表面が毛羽立って、縞模様が光を放っている様に見えました。
臼井織布さん、本当に長い時間、ありがとうございました。あの座布団を目指して、クタクタになるまで、大事に着たいと思います。後ろ髪をひかれながら、お店を出ようとしたその時、店主の臼井さんが一言「2階も見られましたか?」ええーーーー???2階もあったんですか・・・!!臼井職布さんの、あまりの奥の深さに、完全にノックアウトです。
そんなこんなで、伊勢木綿2反と座布団2枚を抱えて、東京に戻った私達ですが、煩悩の火が消えたどころか、最後まで悩んだ何反かは、ちゃっかりデジカメに納めて、次の機会をうかがっているのでした。
その後、伊勢木綿2反は京都で水通しを終え、現在、青森のおばさまのところに仕立ての旅に出ています。

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伊勢木綿-臼井織布の巻2

お店の方へ引き返し、いよいよ反物の物色です。
見本帳のようなものから選ぶのかと思ったら大間違い。
「自由に見てって下さい。」の一言で、反物の山の中に置き去りにされてしまいました。そうです、ここは織元さん、呉服屋さんではないのです。工場の仕事がメインですから、小売のお客を相手にするシステムなどはないのです。(本当におじゃまいたしました。)
反物の山の中に取り残された私達は、最初こそ遠慮がちに山の頭頂部の反物を見ていたものの、徐々にヒートアップ!「自由に・・・」という言葉に力を得て、自由すぎる程の探検が始まりました。



辺りは、反物の山山山・・・どこもかしこも反物だらけで、足の踏み場もありません。増築に増築を重ねたような家屋の扉を開ければ、反物。もちろん隣の部屋も反物。お蔵の中も、押入れの中も、箪笥の中も、扉という扉の内側には反物の山が現れます。しかも、あるのは反物だけではありません。座布団・布団・割烹着・袋物に扇子・・・もちろん全てが伊勢木綿。
もう、ここから1つだけ選ぶなんて、私には無理!半分泣きそうな気分になりながら、目だけは鷹のように、次から次へと反物をなめて行きます。段々と目が慣れて来ると、同じように見えても、よく見ると微妙に糸の色が違っているのが解ります。店主の臼井さんが言われることには「作る方も、ずっと同じじゃ飽きちゃうからねぇ。いろいろやってみるわけですよ」。伝統的な手法の上に、新しいものを作りたいという姿勢が伝わってきます。
ときどき思い出したように「何かあったら言って下さい」と店主の臼井さんや妹さんや奥様が声を掛けて下さるのをいいことに、鏡を出して頂いて顔映りを見たりしながら、徐々に狙いを絞っていきます。
最終的に決めたのが、この2反。(結局、1反には絞れなかったのです・・・。)


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伊勢木綿-臼井織布の巻1

今回目指すは、織元さんの「臼井織布」さん。
「臼井織布」は、現在、伊勢木綿を織られている唯一の織元さんです。その製法は、江戸時代からの製法そのままで、全国の木綿の織元さんの中でも、非常に貴重な存在です。
土地の人は強い味方とばかりに、うにさのお母さま『ともこさん』と、叔母さま『ちこさん』にもご同行願って、別腹めぐりの始まりです。
9月の薄曇りの中、期待に胸を膨らませて、津駅に降り立ちました。
私は、織元さんに行くのは初めてのことでしたが、既に数ヶ月前の帰省で、うにさは下見済み、ともこさんによって、前日にはお店の方へ来訪も告げられており、準備は万端!
古い日本家屋の格子戸を開け、「ごめんください」と声を掛けると、作業着姿の女性が「機の方も見られますか?」と一言。思わぬ嬉しい展開に、是非ともと、まずは工場見学です。





反物の山を横目に、薄暗い土間を抜けると、中庭では水通しをした反物がのんびりと干してあり、何やら懐かしい雰囲気です。
雑然と置いてある、古い道具などに気を取られながら、心臓部である工場へ。

最初に見せて頂いたのは、カセになった糸を、糸車に巻き取る機械。規則正しく、面白いようにクルクルと糸が巻き取られていきます。

その横には、反物の縦糸を通す機械。たくさんの糸車が並んだ姿は壮観です。この糸車の数だけ、縦糸の種類を変えられるとのこと・・・無限に出来る反物を思い、頭がくらくらしてきます。

別の棟では、たくさんの織機が一勢に反物を織っています。高い天井に、機械の油の匂いと、織機が出す音とがとても心地よく響いていました。



ここ臼井織布さんには、古いトヨタ織機が、現役で働いています。近年、トヨタが博物館を作るにあたって、探し求めて、ここから一台持って行かれたそうですが、そんな博物館に入るようなお宝が、ここでは大事に整備をされて動いているのですから、臼井織布さんの存在自体が宝物なのかもしれません。

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三重旅行
そのおかげで、私は三重旅行という特典を、度々賜っている。
当初、私の中の三重県のイメージは「おいしい」であった。
松阪牛、赤福餅、伊勢海老に鳥羽の鮑、天むすや鰻のひつまぶしだって、元来はは三重のもの。
そんなおいしい土地三重には、別の顔もある。
伊勢木綿に松阪木綿、伊勢型紙、伊賀組紐、伊賀の骨董市、憧れの閑日堂・・・。
松阪牛や伊勢海老を食べた後の、別腹を満たしてくれるものも満載だ。
その上、京都・大阪・奈良・滋賀・名古屋へのアクセスもよく、つまみぐいもし放題!
もう、三重に、行かないわけにはいかない!!
そんなわけで、9月に三重に行って来ました。


小さな曲者2

かくして、200円で購入したものを500円掛けて修復する日々。
ここで登場するのが、『カニカン』!
『カニカン』が、あなたの(私の)お悩みを解決してくれます。
切れてしまった古い羽織の紐も

やはり切れてしまった祖母の珊瑚の帯締めも


『カニカン』さえあれば、ほれ、この通り!
可愛さ指数はやや下がる気もしますが、『ち』への取り外しも簡単になり、何より羽織の紐の役割を取り戻すことが出来ます。落ちてしまった可愛さ指数だって『カニカン』の名前で少しは巻き返せるでしょう!?
ブラボー!『カニカン』!カンの王様『カニカン』!
ちなみにこの『カニカン』、『ナスカン』とも呼ばれているようですが、やっぱりカンは『カニカン』の方がいいでしょう。『カニカマ』じゃなくて、本当によかった・・・。
最近、新聞で「スパイダーシルク」なるものの記事を読みました。これは、クモのDNAをカイコの卵に注入し、その卵から成長したカイコの吐く糸には10%の蜘蛛の糸成分が含有される、という信州大学で行われている研究のようです。「蜘蛛の糸の強さを持った糸を吐くことの出来る蚕」の誕生というわけですね。
1000年経っても切れないような丈夫な絹糸が出来るのも、そう遠い話ではないのかもしれません。非常に興味深い研究です。
更に進んで、蜘蛛の方に蚕のDNAを入れて出来た「絹糸の強さを持った蜘蛛の糸」が出来たなら、是非とも纏ってみたいと思うのは、私だけでしょうか?
だって『蜘蛛の糸で織った狩衣』なんて言うと、竹取物語で出されるお題みたいでしょう。う~ん、でもちょっとネバネバしてそうかな・・・?
ところで、こういうのって「化学繊維」じゃなくって「科学繊維」と呼ぶのが妥当なのでしょうかね?

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小さな曲者1

画像は、いつの間にやら増えてしまった羽織の紐です。
出処はいろいろで、祖母の箪笥の中から拝借したものもあれば、古着の羽織に付いて来たもの、骨董市や古着屋でお土産代わりに(自分への)購入したもの、プレゼントに頂いたもの等々。新品のものはひとつもないかもしれません。
骨董市や古着屋さんに行くと、200円~500円くらいの手頃な金額で購入出来ることもあり、持っていない様子のものがあると、つい家に連れて帰ってしまいます。
また、かさばらず目立たないため、相棒うにさに道楽を指摘されることもなく、物欲を満たせるという点で非常に優れており、増殖する原因の1つに、その大きさとかわいらしさが、かなり関与していると思われます。(分析終了)

さてこの羽織の紐、重ねていくキモノのコーディネートの中で、一番最後に悩むパーツのひとつです。
羽織を脱げば、名残りもなく、さっさと消えてしまうので、コーディネート全体の中で主役を張ろうという気は毛頭ないようにも見えますが、一旦羽織ると、遅れて来たスターのように、体のど真中で最も目につく場所に陣取るという、なかなかの曲者です。出てきたり、引っ込んだりの、この気ままでツレナイ感じが、女心をくすぐります。
しかし、私から小銭を毟り取るこの曲者、真の曲者っぷりを発揮するのは、今まさに出かけようとする瞬間!
切れるんです・・・。(ご経験の方も多いことでしょう)
まぁ、紐に限ったことではないですが、古いものは壊れます。本体の紐部分がサラサラと音もなく崩壊することもありますが、羽織の『ち』に引っかける輪の部分に何度泣かされたことか。本当に「プチッ」と切れるのです。涙
「やられた!」と思いますが、そんな時は、焦らず騒がず冷静に別の紐を通し、母の羽織を染め直すために染物屋さんに持ち込んだ時のことを思い出します。
付けっぱなしになっていた紐をはずしながら、店主が言うことには「何がないって、これですよコレ!コレの職人がいない。新しいもので探すの大変だから、古いの大事にして下さいよ。」
はい、どんな曲者であろうとも、大切にいたします。縁あって私のところに来られた以上は、最後まで看取る覚悟でございます。

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いざ鎌倉へ3

きりばめ模様の織りの帯は、祖母から貰ったものですが、98歳の祖母曰く「多分、おトヨさんの・・・」。私が高校生の頃までは、日常着としてキモノを着ていた祖母ですが、キモノについては、細かいことは、もう忘れてしまったようです(苦笑)
おかげで、祖母のものは私のものとばかりに、実家に帰ると祖母の箪笥を物色しては、使えそうなものをいただいて帰ります。
おトヨさんとは、祖母の年の離れた兄のお嫁さんにあたる女性です。
祖母が、99歳で亡くなったおトヨさんの、形見分けにもらった(多分・・・)ものですから、私が祖母から貰った時には、かなりくたくたになっていました。
幸い、穴や擦切れは無かったので、芯を入れ替えてきれいにして、愛用しています。
私がこどもの頃、おトヨさんは近所に住んでいました。
両親が共働きであったため、私は長い時間を祖母と過しました。
そして、その祖母がたまに外出したりすると、預けられる家がいくつかありました。
そろいも揃ってジジババのいる家で、おトヨさんもそんなお婆さんの一人でした。
近所のジジババには本当に世話になりましたが、こどもの私には、ジジババ番付けなんぞがあって、行きたい家の順番などもはっきりしていて、今考えると、申し訳ない限りです。
ごめんなさい!おトヨさん、今更ながら告白します。・・・ランキングでは下の方でした。
何故ならば、こどもの私には、おトヨさんは、長谷川町子さんの描かれる「いじわるばあさん」そっくりに見えていたのです。
みかんのガムも買ってもらいました、一緒にお池の鯉も見ました、でも「いじわるばあさん」そっくりだなぁ・・・と、こどもの私は思っていたのです。
帯、大事にしますから、許して下さい。
いじわるばあさんに似ていても、おトヨさんは、私の大事なジジババの一人です!
でも、大人になって思い出しても、やっぱり似てると思ってしまう私です。(あぁ・・・反省の色ナシ・・・涙)

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いざ鎌倉へ2

さて、お供の私のこのキモノ、母の若い頃の訪問着です。
元々は、白地のものでしたが、長く箪笥のコヤシにしていたため、所々にシミが出来ていました。白地の訪問着は、既に自分のものを持っていたこともあり、ここは思い切って「掛け色」を!まんまと母をその気にさせて、染物屋へ!
染物屋では、ピンクやベージュ系を勧められたのですが、ガンとしてクビを振らない私に、母は終始心配顔。初めての「掛け色」体験ですし、私も内心はドキドキです。お店の人の言うことを聞かない以上は、頼るのは、あるかないかの勘のみ・・・えいや!っと決めて、待つこと3ヶ月、思っていた以上の仕上がりに、母も満足な様子でした。もちろん私は、母の思い出の品を、懐も痛めずにGet出来て、大・大満足です。
ちなみに、手に提げている明るい緑の羽織も、同じ時に、母の淡いピンク色の綸子の羽織に掛け色をして作り直したものです。
お母様、感謝感謝!!



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いざ鎌倉へ1

先日、10何年ぶりかに鎌倉まで出張って参りました。
小さいお友達からの、急なお誘いです。
11月に七五三のお祝いをする予定だったイロさん、おめかしして、両家のジジババを引き連れて鶴岡八幡宮にお宮参りをするはずが、大風邪をひいて全てが流れてしまいました。仕切り直して、12月に日程を決めたものの、お供の者がたりず、意気消沈。そんなこんなで、お供のひとりに任命された次第です。
七五三祝いのピーク期を少し外れたことも幸いして、スターは姫一人!
観光客の外国人にも大人気!フラッシュの嵐です。
いささか遅刻気味の私でしたが、私が顔を合わせた時には、写真のお礼にもらったお菓子でひと財産、ご機嫌のご様子でした。
もちろん、小さい人に便乗して、お供の者達もキモノです。姫を入れて4人のハレ着姿の女性は、気分良く鎌倉の街を闊歩します。
そんな華やかな女性達の影で、一人普段着のお父さん。デジカメにビデオカメラに荷物も一手に引き受けて、ヨレヨレになりながらの大奮闘です。このハレの日の功労賞を差し上げたい!涙
そして、借りた衣装も返して、身軽になったイロさんから〆の一言
「今度は、キモノが欲しい!」キモノ道楽予備軍の誕生の瞬間です!
お父さんの苦悩は、まだまだ続くのでした。


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三重からの珍品・・・その3

最後に、籠の裏を覗いてみましょう。何か刻印のようなものがあります。
傷んでいて、少し読み辛くはありますが、古い左送りの文字で、漢字が並んでいます。
ハト?クジャク?のような鳥の胸には「専売特許」
尾羽の部分には「大日本■一五六〇■■」(■の部分は判読出来ませぬ)
下には「旧韓国統■府」「第七拾四号」とあります。
日本が、大陸に侵略していた時代のものなのかもしれませんね。
残念ながら、この袋物は布が弱っていて、このままでは使用することが叶いません。
はい、そのとおり!修繕・修復!新たな挑戦(苦悩?)の幕開けです!
ん?「わざわざ壊れているものを買わなくても・・・もの好きな・・・」と聞こえてきそうですが、いえいえ、これがたまらんのです。


葡萄の帯

相棒うにさにそそのかされて、のこのことブログなんぞを始めてしまった私ですが、早くも後悔の嵐。構想何年!??嘘、嘘!!昨日でしょう、こんな話になったのは・・・。まったくもって行き当たりばったりのスタジオクゥですが、まぁ、決まったことですし(自分達で決めただけですが)何か書かかなくっちゃねぇ・・・。
まずは、プロフィールのところに入れた写真の帯の話でもしてみますかね。
うにさから、最初に、この帯を見せられた時、
即座に「売ってたら、絶対買う!」と言ってしまった、ハシタナイ私・・・。
そうなんです、残念ながら私のモノではありません。
うにさの大切なお婆様、大正生まれのみささんの帯なのです。
小さくてかわいらしいお婆様が、凄みのある(うにさ談)お嬢様だった頃、昭和初期の名古屋帯です。
残念ながら、私にはこれがどういう素材の帯なのか、識別することは出来ませんが、素敵なものだということだけは解ります。
このみささん、お医者さまのお嬢さんで、娘時代には呉服屋さんが「ここにしか持って来る場所がありません!」と泣きついて来られるような、手の掛かったおキモノをたくさん誂えられていたそうです。(ああ・・・私も言われてみたい・・・。)
うにさの所持品の中には、そういうモノがいくつか残っています。
そんな宝の山を手に、浴衣ひとつ着れないうにさ!
年に1度か2度、棒の様に立ち尽くして、私にキモノを着せられるうにさ!
もっとたくさんキモノを着ましょう!キモノの管理もキチンとしましょう!(私の箪笥は、あなたからの預かりモノで溢れてしまいそうです!)
でも、感謝しているのです。
私の箪笥に入っているおかげで、こんなに素敵な帯を、私は自由に着ることが出来ますからね・・・ふふふっ。

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