聴き初め2
新年らしくパリっとしたものをと思い、ちこさん(うにさの叔母さま)の鮮やかな濃いブルーの小紋を拝借致しました。

(写真の色が飛び気味でスミマセン・・・。)
残念ながら、どんなに考えても干支の未さんは我家の箪笥の中にはおりませんでしたので、ひつじのことはもう忘れようとしていたところで、ひとつの閃きが!!
喜び勇んでうにさに見せたところ「誰にも解らないよ・・・。」の一言。

はい、恐らくほとんどの方にひつじとの関わりは不明なことと思います。汗
祖母ふみゑは、唄の好きな人でした。
端唄から童謡から流行歌まで、いろいろな唄を口ずさんでおりましたが、この唄もそのひとつ。
牧場(まきば)の柵に春の日に
小さな穴が開きました
一匹目のひつじが逃げて出た
くるりと回ってピョンピョコリン
(*歌詞に多少の間違いがあるやもしれません。)
古い童謡です。長く曲名を探しておりますが、残念ながら未だ不明。
父ひろし(昭和5年生れ)が子どもの頃には家にレコードがあったそうです。
この唄が、2番3番・・・何番まであったのかも解りませんが、ひつじはどんどん逃げて行きます。
そして、ひつじはいなくなって「あとには真っ紅(まっか)な芥子の花」で終わるのです。

そんなわけで、ひつじがいなくなった芥子の花の帯。

済みません、解り難くて・・・。苦笑

真っ紅な芥子ではなかったので、帯の裏面の真っ紅な絞りが覗くように締めてみました。
初めて小春さんの唄を聴いたのは2012年の秋のこと。祖母が亡くなって数カ月が経った頃でした。
ゆったりとした気持ちで聴いていたところに、偶然にも、祖母がよく唄っていた『茄子と南瓜』が流れて来て、不覚にも号泣してしまったことを思い出します。
いつかひつじの唄も小春さんに唄ってもらえるような日が来るといいな・・・。
追記:
早速、唄のタイトルをお知らせ頂きました!!
さくまりさん!あっくまさん!!ありがとうございます!!
しかも、音源まで!!驚
『牧場の羊の歌』
昭和05年(1930年) 童謡
作詞:西條八十
作曲:中山晋平
独唱:平井英子(12歳)
大正07年- 伴奏:中山晋平 (太鼓入)
http://m.videos.vietgiaitri.com/Music/phim-video-clip--id.zVhsJah7kCU.vgt
https://www.youtube.com/watch?v=KlR-9lMQ4Rs
嬉しくて、泣きそうです・・・。

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ふみゑさんのお話15

ふみゑさんが着ていた姿も思い出せぬままに仕立て直したのですが、着付けて鏡の前に立ってみると、ふつふつと記憶が蘇ります。

あぁ・・・、確かにおばあちゃんが着ていた。
同じように、母や従姉妹も「思い出してきた。」と言います。不思議なものですね。
キモノが地味目なので帯を少しかわいらしいものに。

黄色地にピンクの橘。
こいうい機会に使いたいのは、六瓢(無病)の帯留。

ふみゑさんの白寿の祝いに、ふみゑさんの着姿を蘇らせ、感慨に耽る私。

そんな私を横に、当のふみゑさんはといいますと・・・
「そ~やー?覚えとらんよー。」とニコニコ。
ま、100歳も近くなればそんなところかもしれませぬ。苦笑

おばあちゃんが着ている姿を思い出せただけでも、仕立て直した甲斐があったいうものです。
そして、私がキモノを着た時のふみゑさんの口癖は、今も昔も変わらず
「日本髪に結うたらええのに・・・」。
ふみゑさんの中では、キモノには日本髪が一番似合うという思いがあるようです。
一度くらいは試してみたいものですが、似合うかどうかが不安ですワ・・・。
日本髪にも種類がありますから、私に似合う髪型をピシャリと選んで下さる髪結いさんに出会えるかどうか?それが成功への鍵となるやもしれませぬ。
どなたか、よい髪結いさんをご存知ないでしょうか?
さて、長くなって参りましたので、我が最愛の人ふみゑさんについてのお話はこれにて一旦終了と致しましょう。(エピソード多く、永遠に続きそうな気配なので・・・苦笑)
ちゃんと今年の100歳のお誕生日には、お側に馳せ参じておりました。笑

普段は離れて暮らしておりますが、ふみゑさんの横が私の指定席ですからね。
最後に再び、

やっぱり美人でしょう♪

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ふみゑさんのお話14

出来ればふみゑさんにちなんだものを身につけたい・・・。
前述の通り、彼女のの若い頃のキモノは残っておりませんが、私がこども時分にふみゑさんが着ていたものは箪笥の中にあるのです。
要は、ふみゑさんが既におばあちゃんになってから作ったものなので、お婆さんが着るようなキモノばかりではあるのですが、帯で工夫をすれば何とかなるであろうと、昨年の正月に、夏物で着られそうなものを1枚箪笥から引っ張り出して参りました。

ひとまず、母やすこにお願いして、地元の悉皆屋さんに見て頂いたところ、小千谷縮みと判明。
仕立て直す価値ありとの診断でしたので、白寿の祝いに間に合うように、仕立てて頂きました。
おや?何だかちょっとおかしいですね、この話。
お祝い事の主役はふみゑさんのはず、順当に考えれば、ふみゑさんがキモノを仕立てるべきですよね?
しか~し、キモノを仕立てることになったのは、孫の私。
いつの間にやら、私がキモノを1枚増やす手筈になっている。
おかしいなぁ・・・ふっふっふ・・・。

結果、この件の被害者は母やすこ。
私にお財布の紐をこじ開けられてしまうこととなりました。
お母様。不詳の娘は東京の空の下、今日も元気です。感謝!(私信)

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ふみゑさんのお話13
一部は戦時中にお米に替わり、残っていたものも、大阪の空襲で焼かれてしまいました。
時折思い出しては「あれがあったら、あんたが喜ぶだろうに・・・」と話しております。悲しい記憶ですね。
ところが、全く何も残っていないと思っておりましたのに、数年前に、1枚だけ出てきたのです。
それがこのキモノ。

ふみゑさんが嫁入りの歳に着た留袖です。

大阪には持って行かず、広島の実家に置いていたものなのか、戦火の中を命からがら持ち出したものなのか・・・。

古典的な鳳凰の留袖は、ふみゑさんの一番上の娘・ちさとさん(私の叔母で父ひろしの妹)が嫁入りする際に、母親(ふみゑさん・私のおばあちゃん)から持たされました。
娘に持たせることの出来る、唯一のキモノだったのだそうです。

この留袖は、ちさとさんのところで大事にされておりましたが、長い時間の間に、生地が弱ってしまい、もうキモノとして着ることは出来なくなってしまいました。
そして、ちさとさんがふみゑさんに
「もうキモノとしては着れないけれど、あなたのものだから、どうにかして、孫のひよさに残してあげるといい・・・」と言って、このキモノは何十年かぶりに、ふみゑさんのところに戻って来たのです。
ふみゑさんは、その留袖から、私にクッション2つを作ってくれました。

形は変わってしまいましたが、これが私がふみゑさんから譲り受けたキモノです。
ヨダレを垂らすといけないので、これで昼寝は出来ませんけどね。

ちなみに、キモノ同様、若い頃の写真も戦災に遭ってしまいましたので、残っているのは先の1枚と、今回の婚礼の時写真、あと1枚ふみゑさんが3歳の頃のものが1枚のみ。
残念な限りです。

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ふみゑさんのお話11
これは私が高校1年生の時に縫ってもらった浴衣。

今見れば、特別な浴衣でも何でもないのですが、それまでずっと子どもの頃は白地の浴衣ばかりでしたから、初めての紺地の浴衣はなにやら大人っぽくて、ドキドキしたことを覚えています。
嬉しかったなぁ・・・。
成長に合わせて浴衣は随分縫ってもらったように思いますが、残っているのはこれ1枚。
年下の従姉妹のところへと流れて行ったものもあるやもしれませんが、私が居所を知っているのはこの浴衣と、これより2代前の浴衣のみ。
実は2代前の浴衣は、こちらのブログで以前に紹介済みです。既に浴衣の形はしておりませんが・・・コチラをどうぞ。
元の写真くらい残しておけばよかったワ。苦笑
ちなみに、1代前の浴衣は、兄が男子高の体育祭の余興の女装に勝手に持ち出し、ボロボロにしてしまい、その後の行方は不明です。怒

ところで、ふみゑさんは浴衣には『柳衿』と申します。
「バチ衿とは違うの?」と聞くと
「同じよー。三味線のバチの形に似とるからバチ衿。同じ同じ・・・。」
では何故に柳衿?
それに対する回答は・・・
「さぁ~??」の一言。
どなたかご存知ないかしら?
本当は違うのでは??

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ふみゑさんのお話10

私が10代の頃に縫ってもらった長襦袢です。
実は、これ、丈が長いのです。
何度か抗議をしたのですが、「まだまだ背は伸びる」の一点張りで、今に至っております。
おばあちゃん!私は小学校6年生の頃から、背はほとんど伸びておりません!そうです、残念ながら、長襦袢を作ってもらった頃には、とうの昔に、身長は伸びなくなっていたのですよ!!期待に添えなくて、申し訳ない・・・。
そんなわけで、この長襦袢、ずっと腰で上げをして着ております。

いくらなんでも、私の背がもう伸びないことは、ふみゑさんにも解ると思うのですが・・・今は、ふみゑさんも目が遠くなってしまい針を持つことが出来なくなってしまったので、多分、ずっとこのままで着るのだろうと思います。
人に頼んで直してしまうのは簡単ですが、そんなエピソードと一緒に着るのも、また一興かもしれないと思う私です。

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ふみゑさんのお話9
かと言って、筒袖の半襦袢では、なんとなくおしゃれじゃないし・・・そこでふみゑさんが私に作ってくれたのが、この半襦袢。

筒袖のところが、紅絹で提灯型に作ってあります。まるで花弁のようでしょう。

これ、袖口から見えると、とてもかわいいのです。
チラリ♪

以前にぶにさんからコメントで頂いたように(詳しいご返答が遅くなってごめんなさい!1年以上お待たせいたしました。汗)、これを着ていると必ずのように「それは何?」と尋ねられます。
私のお気に入りの一品で、宝物。
ふみゑさん曰く
「レースが無い頃は、みんなこうやって着とった。」とのこと。
毎日着るもののことですから、大掛かりなことをするよりも、ちょっとした小さなおしゃれを楽しむことの方が、大切だったのだのでしょうね。
今、こういうものを作って販売したら、きっと売れると思うのですけど・・・意匠登録でもしてみようかしら?その際の名前は、『ふみゑ袖』かなぁ。笑
色違いが欲しくなったので、ふみゑさんに習って、現在自作中。

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ふみゑさんのお話8
以前から不思議に思うことですが、身長170cmを超える人と150cmを切る人の袖丈がほぼ同じというのは、ちょっと奇妙ですよね。
動き易さや反物の尺から標準値(女並)というのが決まって来たのでしょうが、着た時の美しさやバランスを考えれば、袖の長さは身長によってもっと変わる方が自然な気が致します。

近年、ふみゑさんに訊ねてみたところ、157cmの私の身長ならば、袖丈は1尺5寸6分(約59cm)くらいある方が姿が良いと申します。(結構長いよ♪)
現代のキモノ事情には合わないことではありますが、私がアンティークの長いお袖のものを着る際の言い訳には打って付けです。うふふ・・・。
ただし、ふみゑさんは、私の年齢を考慮に入れてはいないハズ。
ふみゑさんにとっては、私はいくつになってもかわいい孫ですから。苦笑

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ふみゑさんのお話7
ふみゑさんから教わった着付けの中でも、私が殊に気に入っているのは、腰巻きの合わせを逆にする着方。
普通に着れば右が下前になって、腰巻き→長襦袢→キモノという順に下から
右左右左右左
と重なって行くわけですが、腰巻きだけ逆にすると
左右右左右左となります。
これは、お手洗いに行く際に思いの他便利なのです。笑
お手洗いに行く際には、当然上から順にめくって行くわけですから、
通常は上から
左右左右左右で6回。
ところが、腰巻きだけ逆にすると
左右左右右左となり、4手目と5手目の右は2枚同時にまくることが出来ますから、都合5回で済むのです。
些細なことですが、試してみると、思った以上に機能的に感じられること請け合いです。笑

但し、これは長襦袢の下に腰巻きをつけた時だけにしなければなりません。
半襦袢の下に裾よけだけで簡易に着ている時にこれをやると、風でキモノがめくれた時に、脚が丸出しになって恥ずかしい思いをすること請け合いです。ご用心、ご用心!

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